連載コラム

五感に訴えるアメニティー

[ 2010年7月26日 ]

野口 智雄

 いうまでもなく人間には基本的な感覚器官として目、耳、鼻、皮膚、舌がある。それゆえ事業者が店舗なり、製品なりの「ウリ」を顧客にアピールする際には、彼ら/彼女らの視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚を効果的に刺激することを常に考えねばならない。購買シーンに合わせて必要な感覚刺激手段を選別し、それらを最適に組み合わせることによって顧客の満足度を高める。その結果、経営成果を上げることが可能になるのである。

 ところが現代のようなデフレ不況下では、すべからく機能性と価格(コスト)にのみ焦点があたりがちだ。製品はもとより、店舗ですらコモディティー化が進行しそうな情勢にある。店舗の装飾やアメニティー施設、製品のブランドなどの付加的価値部分、五感刺激要素は極力そぎ落とし、徹底したコスト・パフォーマンスを指向せざるをえないという事態なのだ。潤いも、情緒もあったものではなく、寂しい限りである。このようなコストカットを基盤にすえた無機質的な取り組みには業績の向上は望むべくもなく、明るい未来はない。

 顧客にとっても、企業にとっても、潤いのある明るい未来を築くために、人間の五感を刺激するユニークな取り組みを行っている店舗、商業施設にフォーカスしたい。そして付加価値に溢れ、将来性のある魅力的な店舗の創出に向けていくばくかの貢献ができればと考えている。

 五感を刺激する店舗として真っ先に思い浮かぶのが、アバクロンビー&フィッチだ。理由は、2009年12月、東京・銀座に日本初上陸を果たしたばかりで記憶に新しいということもあるが、なんといっても筆者がスタンフォード大学で小売業を研究中(2006年3月から2008年3月まで)、最も感銘を受けたアメリカの小売業がロサンゼルスのこの店舗だったからだ。

 アバクロンビー&フィッチは現在(2010年6月)世界に345店舗を展開している。筆者もアメリカ滞在中には、多くのショッピングセンターでこの店を見た。大学敷地内にあるスタンフォード・ショッピングセンターにもテナントとして入店していた。が、とりわけロサンゼルスで見たフラッグショップは秀逸だった。この店は、ロサンゼルス郡のビバリーヒルズのそばにある人気ライフスタイルセンター「ザ・グローブ」の中にある。店の魅力を明かす前に、テナントの受け皿であり、今日のアメリカで最も好感度の高いショッピングセンター形態であるライフスタイルセンターについて簡単に触れておこう。

 ライフスタイルセンターとは、ショッピングセンターでありながら単に必要な商品と代金とを交換する場ではない。富裕層をメーン・ターゲットとし、彼ら/彼女らに生活する喜びを提供する総合施設である。そのための仕掛けとして、個性的な建築で店舗を作り、広いペデストリアン(遊歩道)を切り、公園や噴水、そして休憩のためのベンチやオシャレなカフェ、さらには安っぽいフードコートの対極にある高級なレストラン等を提供する。つまり、ライフスタイルセンターはアメニティーの宝庫なのである。来場者はここで買い物を超えたトータルの生活の満足感をえることができるのだ。

ロサンゼルスのザ・グローブ。年間1200万人の来場者があるという大人気ライフスタイルセンター
ロサンゼルスのザ・グローブ。年間1200万人の来場者があるという大人気ライフスタイルセンター

ザ・グローブの噴水。来場者に清涼感と癒しを提供している
ザ・グローブの噴水。来場者に清涼感と癒しを提供している

 このようなライフスタイルセンターの中でも最高峰と評されるザ・グローブの中にアバクロンビー&フィッチのフラッグショップは鎮座している。建物は、1930年代の「オールド・アメリカン」というセンター全体のテーマにそって壁面外枠部分が渋い赤白のレンガ、中央扉部分が木造(剥き出しではなくガラスで覆われている)である。屋根に鐘つき人夫の彫刻のついた大時計が配され、長距離鉄道のターミナル駅をモチーフにした佇まいは本格的かつ重厚で、まさに「古き良きアメリカの時代」を具現化している。

ザ・グローブのアバクロンビー&フィッチのフラッグショップ。古き良きアメリカを再現している
ザ・グローブのアバクロンビー&フィッチのフラッグショップ。
古き良きアメリカを再現している

 同センター内には、ノードストローム、バーンズ&ノーブル、アンソロポロジー、ヴィクトリアズ・シークレットなど米国を代表するビッグボックスが軒を連ねているが、視覚的にはアバクロンビー&フィッチが最高である。店舗規模、造り、配置のいずれをとっても圧倒的な存在感を誇示している。

 しかしとりわけこの店舗は中に入ると驚きである。外観以上の個性、存在感を発揮しているからだ。店内は一言でいえば、ブラック一色。ほとんど深夜のようなダークな雰囲気が漂っている。無論、商品や壁面の画像には蛍光灯が当たっていて視認できるが、それは夜道を照らす街路灯のような感じだ。

 基調のブラックは、われわれの視覚面で高級感を演出し、ファストファッション店の真逆にある同店のハイクラス・カジュアルの商品群にマッチしている。またこのダークな雰囲気は壁面に飾られているヌード画像や上半身裸の男性ストアモデルとあいまって、なんともエロチックで、ミステリアスなムードを醸し出している。

 そして突き抜けた個性を発揮しているのが、店内の匂いだ。アバクロンビー&フィッチでは、メンズ・フレグランスを空気中にも商品にもスプレーしまくっている。それゆえ店内にはシトラス系の香りが充満し、独自のアバクロ・ワールドが形成されているのだ。

 筆者が女性のストアモデルに「店内で売られているコロンと、店の匂いは同じなのか?」と尋ねたところ、「同じだ」といって、そのコロンの棚を指さしてくれた。この店では自社のオリジナル商品で、他のライバル店にはないオリジナルの空気を作り上げているのである。

 一説には嗅覚で覚えた記憶は長く(一生)忘れないといわれる。つまりこの面で顧客のニーズに合う刺激を提供できれば、この思い出は良い印象として一生記憶に残り続けることになる。アバクロンビー&フィッチ店内の匂いに関しては、人により好悪はさまざまあるだろう。だが、筆者のように柑橘系の香りを愛する人間にとっては、嗅覚に訴えるこの種の取り組みはライバルとの区別化の意味でも、リピーターを保持し続ける意味でも意義あるものと高く評価している。

 もう一つ、五感に訴えるアメニティーとして、脳裏に焼きついているのが「サードストリート・プロムナード」の恐竜群である。これはストリートを飾るモニュメントであり、装飾なのだが、目を引く点はそれらのオブジェがブロンズや硬質樹脂で作られたものではなく、植栽で作られている点だ。

 このオブジェの意義についてより詳しく語る前に、まずこれらが置かれているサードストリート・プロムナードの概要を記しておきたい。このストリートはビーチ・エリアとして有名なカリフォルニア州サンタモニカにある。ここは19世紀後半からビジネスの中心地となり、1960年代にはショッピングセンターの開発が行われて栄えたが、70年代後半には早くも衰退化が顕著になった。

 無論、状況改善のためのハード施設の整備事業は行われたが、結果ははかばかしくなかった。そこで同地では、リテールゾーニング(建物の一階部分には商業施設しかつくらせない区域規制)を行い、三番街(サードストリート)を完全な歩行者天国にして、モニュメントを作り、ストリート・パフォーマーを募って積極的にイベントの実施に取り組んだ。その結果、この街路は大いに活気を取り戻すことができたのだ。

 アメリカで近年見られる人口の都心回帰、それに伴うビッグボックスによるダウンタウンや都市部近郊への出店指向という流れに乗り、現状の三番街はバナナリパブリック、アンソロポロジー、プーマ、GAPなどの有名店がひしめきあっている。これらビッグボックスのファサードは優美で、瀟洒(しょうしゃ)なストリート・スケープを形成している。

サードストリート・プロムナード。道の両サイドに有名店がひしめきあっている
サードストリート・プロムナード。道の両サイドに有名店がひしめきあっている

 このようなストリートの中央部にそって恐竜のオブジェが立ち並んでいるのだ。恐竜の造形は巨大で、イメージ的にはいかつく、絶滅種というネガティブなものであるかもしれない。ところがこのストリートの恐竜オブジェはすっきりと優しいフォルムに作られている。不思議なほど、この瀟洒なストリートにマッチしているのだ。それでいて、コンセプトのアンビバレント性(優美な近代的街並みと太古の恐竜)があるため、それが強い個性となり、記憶に残り続ける。

植栽で作られた恐竜のオブジェ。ビジュアル的に目の保養になっている
植栽で作られた恐竜のオブジェ。ビジュアル的に目の保養になっている

 また前述の通り、これらは青々とした植栽で作られていて、ビジュアル的に目の保養に資するものである。中には口から水を吹き出した噴水状のものまであり、水の清涼感、躍動感と相俟って目にやさしく、コミカルなテイストを醸し出している。

 それ以外にも、ここには街路樹がふんだんに植えられており、花壇やフラワーポットも充実している。またオープンカフェも多く、ここに来た人々は木々に取り巻かれた癒しの空間でリラックスすることができる。人工物でありながらも、これらの五感に優しい「自然」に触れることで、人々は長時間滞留し、買い物を含めた豊かな時を楽しむことができるのだ。

 五感に訴えるアメニティーを考案する意義がここにある。

オープンカフェ。多くの樹木に取り囲まれた癒しの空間を提供している
オープンカフェ。多くの樹木に取り囲まれた癒しの空間を提供している

魅力的な店舗アメニティーの創出
執筆者:野口 智雄

野口 智雄略歴

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。日本ショッピングセンター協会顧問。1956年、東京都に生まれる。84年、一橋大学大学院博士後期課程単位修得。その後、横浜市立大学助教授を経て、92年に早稲田大学助教授。93年から現職。2006年3月から2008年3月まで、客員研究員としてスタンフォード大学経済学部でマーケティング、流通の研究を行う。88年、『現代小売流通の諸側面』 で日本商業学会賞を受賞。
主な単著に『マーケティングの基本(第三版)』(日本経済新聞出版社)、『マーケティング戦略』(日本経済新聞社)、『マーケティングの先端知識』(日本経済新聞社)、『新価格論』(時事通信社)、『価格破壊時代のPB戦略』(日本経済新聞出版社)、『一冊でわかる! マーケティング』(PHP研究所)、『店舗戦略ハンドブック』(PHP研究所)、『流通 メガ・バトル』(日本経済新聞出版社)、『I型流通革命』(講談社)、『ウォルマートは日本の流通をこう変える』(ビジネス社)、『FREE経済が日本を変える』(中経出版社)、『水平思考で市場をつくるマトリックス・マーケティング』(日本経済新聞出版社)がある。また、近著に『なぜ企業はマーケティング戦略の誤るのか』(PHP研究所)、出演・監修ビデオに『よくわかるマーケティング(日経ビデオ)』(日本経済新聞出版社)がある。

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