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連載コラム

存亡の危機から、全国1~2位に上りつめた黒川温泉

[ 2013年3月1日 ]

街づくり、店づくりコーディネーター 百瀬 伸夫

写真1
国道442号線、九州歴史街道あじさ
い通り沿いの黒川温泉総合案内板。
写真2
街の中心を流れる、田の原川に掛か
る丸鈴橋から見る「ふじ屋」旅館は、
黒川らしさの典型となる景観だ。
写真3
豊かな自然に囲まれた黒川温泉郷。

 熊本県黒川温泉は全国屈指の温泉地として、常に全国で1~2位を争う人気を誇っている。今回はこの小さな山間の温泉街がなぜ、多くの観光客を引き付けるのかを追った。そして、人気の背景に黒川温泉の魅力を最大限に生み出す「黒川温泉一旅館」とする独自のビジョンと、それをカタチにしていく「街づくり協定」の存在が大きく浮かび上がってきた。それらは、なぜどのような経緯を辿って生まれたのか、その核心に迫ってみた。

小さな山村の温泉街は、交通の便の悪さに苦戦

 黒川温泉は標高700mの熊本県阿蘇郡南小国町、田の原川渓谷に位置する阿蘇温泉郷の一つで、熊本・別府市街から共に約70~80kmと、車で1時間30分を要する。大分県湯布院温泉からは約45kmの距離があり、標高1330mの牧の戸峠を越えて1時間程の山間部とあって、交通の便は決して良いとはいえない。
 黒川温泉は戦前までは、全国各地にみられる湯治客主体の療養温泉地であり、農林業と炭焼きとの半農半営であった。1960年代に入り、九州横断道路(やまなみハイウェイ)の建設が始まり、旅館の開業や改築が行われ専業化が進んだ。1961年に黒川温泉観光旅館協同組合が設立され、1964年の九州横断道路の全面開通時には木造モルタルへの建て替えを終え、温泉観光旅館街に転換したが、ハイウェイ効果は3年足らずであった。阿蘇・杖立、別府などの大型旅館を抱える温泉地に客を奪われ、規模や利便性に劣る黒川温泉は、長い間、低落状態が続き、1970年代の2度のオイルショックと、建築設備への投資による多額の借金を抱えたまま、将来が危ぶまれていた。

写真4
筑後川源流と豊かな自然
は、黒川温泉の宝になっ
ている
写真5
湯治場時代の面影を今に残す、田の原川沿
いにひっそり佇む穴湯共同浴場は黒川の風
情に欠かせない存在。
写真6
黒川の中心にある地蔵堂には、黒川温泉に
昔から伝わる話の「地蔵堂の由来」が記さ
れている。

変人扱いされた若者が、ノミ1本とハサミで黒川を救った

 そんな折、1975年頃に最初の転機がやってきた。黒川へのUターンや婿入りが相次ぎ、30代を中心に旅館の二代目が集まって来たのだ。彼らは都会生活の経験を活かし、観光客の立場から、新しい温泉観光の振興策を模索した。
 1986年に組合組織を再編し、青年部の発案で看板班、環境班、企画広報班を組織したことが、二度目の大きな転機となったのである。
 看板班は、目立つことを競って乱立する看板200本をすべて撤去し、統一共同看板を設置した。環境班には、変人といわれた一人の男がいた。彼こそ、後の黒川の父と呼ばれた後藤哲也氏である。当時24歳の後藤は魅力ある風呂をつくりたい一心から、3年の歳月をかけてノミ1本で洞窟を掘り、風呂にした。同時に、周辺にあった雑木を植栽し、野趣に富んだ露店風呂もつくった。後藤の仕事ぶりに影響され、他の旅館でも彼に指導を受けて露天風呂をつくったところ、女性客が徐々に増え、当初は冷ややかだった旅館仲間も、次々と露店風呂をつくっていった。後藤は建物周辺にも裏山の雑木を配し、情緒ある「絵になる風景」づくりに励み、さらに風呂づくりや植栽の剪定の指導にも尽力し、ノミ1本とハサミで黒川温泉を変えた男として、その名を残すことになった。一方、企画広報班は、敷地の制約からどうしても露天風呂がつくれない2軒の湯宿を救うため、1983年に黒川の全ての露天風呂が利用できる入湯手形を発案し、温泉街の仲間たちが結束した。変人とまでいわれた後藤の情熱と、人々の絆が、後の黒川温泉の礎となる骨太な理念の形成につながっていったのである。

写真7
黒地に白文字の統一看板。土に帰る木製に
こだわり、環境との共生がコンセプトだ。
屋外広告物は必要最小限とし、木材など質
感豊かで黒川をイメージさせるデザインで
なければならない。
写真8
旅館は自然景観に配慮して、構造は極力木
造である。建物の手前には以前からそこに
雑木があったように植栽が施されている。
写真中央は茅葺屋根の電話BOX。
写真9
街なかのあずまや(休憩
所)も、風情を演出し、
癒しへの配慮が心憎い。
写真10
「新明館」の後藤哲也氏が
ノミ1本で掘った洞窟風呂に
通じるトンネル。
写真11
後藤哲也氏のこだわりから誕生した、「岩戸風呂」は
、今日の黒川の基を築いた最初の露天風呂。
写真12
「岩戸風呂」への入口も山
里らしい野趣に富む。
写真13
自然を満喫する露天風呂と
共に、家族風呂も人気で、
多くの湯宿が離れに家族風
呂を付帯している。下駄履
きで自然豊かな庭を楽しみ
ながらの貸切り風呂三昧は
格別だ。
写真14
離れの露天風呂や家族風呂に通ずる庭は、野趣と癒し
に満ちている。

「黒川温泉一(いち)旅館」が黒川のキャッチフレーズ

 露天風呂と入湯手形の登場を契機に、黒川温泉は一つの運命共同体として、10年の歳月をかけて、存亡の危機を脱出した。
 そして、黒川温泉の評価を不動のものにしたのが、1994年に青年部により制定された活路開拓ビジョン「黒川温泉一旅館」である。黒川温泉は一軒の繁盛旅館を生むよりも、「街全体が一つの宿、通りは廊下、旅館は客室」と見立て、共に繁栄していこうという独自の理念を定着させた。そして、黒川ブランドを確立させ、日本を代表する温泉地として全国、さらには海外からの集客も可能にしたのである。
 この「黒川温泉一旅館」のビジョンが優れているところは、一般的な商店街では店主は一国一城の主であり、他の店が口を挟むことはできないのに反し、この「街全部が一旅館」の考え方は、全体の繁栄があってこそ、個が生きるというものである。つまり、個々の湯宿は全体の一部として、勝手な行動や手抜きは許されない。営業面では、まず料金体系の明確化に着手、つづいて個性とサービスの質を高め、いかに魅力を発揮できるかにかかっていたが、各旅館は露天風呂以外に家族風呂などの温泉施設の充実を競い、日帰り・宿泊客の多様な要望に応えて、全体が高いレベルを維持してきた。

写真15
「廊下」となる下川端通り、「渡り廊下」
の田の原川にかかる丸鈴橋に、「部屋」に
あたる旅館群。川沿いの白いガードレール
を撤去し、手すりや欄干(もともとは朱色
だった)もカラーコントロールされ、落ち
着いた統一感をもたらした。ブロック塀は
禁止、垣根や柵なども極力低くするルール
だ。
写真16
「いご坂」は、街のメ
インストリートの下川
端通りと、国道442
号線とをつないでいる
写真17
「わろく屋」「さくらんぼ」「ギャラリー
貴婦人」「味処なか「白玉っ子」「みやげ
処町屋」と続くお店。
写真18
地元、熊本の名店「酒の宿」では地サイダ
ー、地酒、地焼酎、地ワインが人気だ。
写真19
「新明館」の土産品コ
ーナー。
写真20
国道442号線の土産店も黒川らしさを演出
している。

「街づくり協定」で黒川ブランドをさらに強化

 黒川の旅館はそれぞれが独自に源泉を有しており、温度は80°~100℃と高く、泉質も10種類以上と多様で、豊富な湯量とともに優れた温泉資源に恵まれてきた。しかし、その自然の恩恵に甘んじることなく、ブランドに恥じない黒川らしさの基準をまとめ、2002年に「街づくり協定」として締結した。温泉地における「街づくり協定」は極めて画期的で、黒川温泉自治会が主体となり、24軒28の湯宿と100戸の地域住民よる景観形成のルールは、地域の貴重な財産となった。
 協定の基本理念は、ふるさとの自然と暮らしを守り、やさしさにあふれた黒川をめざし、「黒川らしさ」を守り、創り、育てることである。観光地として人気が高まれば、多くの観光客が押し寄せることになるが、「黒川らしさ」の理念の下で、あえて団体客の受け入れを避け、優良な個人客にターゲットを絞り、大手資本の参入やマス化することによるコマーシャリズムの台頭を抑えてきた。街のメインストリートでさえ小型車がやっと通れる程度の狭さで、大型バスは街なかに入れない。商店の数も限られ、黒川オリジナルの土産品にこだわるのもその表れである。また、環境保護の活動として、旅館で使用するシャンプー・石鹸類は河川の水質を守るため、水中の微生物により分解する天然素材を使用し、他の製品の持込み・使用を禁止している。

写真21
1993年に落成した「風の舎」はビジター
センターとして、黒川のランドマークであ
り、地域の司令塔になっている。手前は山
間地には貴重なお客専用駐車場と「ふれあ
い広場」になっている。
写真22
「風の舎」階段下の中庭に面した、黒川温
泉旅館協同組合の事務所と集会場。
写真23
下川端通りは小型車が
やっと通れる道幅とな
っていて、ウォーカブ
ルな温泉街の象徴だ。

住み手の意思が感じられる景観だからこそ、心に沁み込む

 これまで、2002年の日経プラスワン温泉大賞(全国1位)の受賞に始まり、日本温泉遺産100、優秀観光地づくり賞、日本観光協会会長賞、グッドデザイン賞特別賞、都市景観大賞、ハイ・サービス日本300選、第1回アジア都市景観賞、2009年版のミシュラン・グリーンガイド・ジャポンでも2つ星を獲得するなど、受賞歴を見るだけでも黒川温泉の組織的な取り組みが、いかに各方面から高い評価を集めてきたのかが理解できる。
 その多くは街並み景観への賞賛である。この景観による地域活性化は、「見た目の美しさを整えただけでは成し得ない。大切な文化や自然を再発見し、全員が協力して手入れを繰り返し、世代や立場を超えた取り組みに価値がある」と関係者はいう。この景観は村落自治の長い歴史と常に深化を求めてきた共同体の強い意思の表れでもある。

写真24
建物の屋根勾配は一定
で、色は黒、壁はベー
ジュ、サッシも黒か濃
い茶色で、旅館やお店
・民家に至るまでルー
ルに忠実である。
写真25
上川端通りの閑静な佇まいの坂上には、お
客専用駐車場( 各旅館は無料のバレーパー
キングを実施)があり、旅館の前や通りに
クルマの駐車姿はない。
写真26
浴衣は各旅館の自由、下駄は男女ともに
全館共通で、下駄台に旅館の名前はない。

露天風呂と、入湯手形が黒川温泉の経営を支える

 黒川温泉は現在、日帰り客が年間100万人、宿泊客は30万人と盛況である。年間を通じて全旅館の平均稼働率は概ね40~50%で推移、黒川温泉と同じ小規模旅館の全国平均25%を大きく超える。一人当たりの宿泊単価は小規模旅館平均の15,000円に対し、12,000円から20,000円と、値ごろ感があり、黒川温泉の認知が高まるにつれて、人気の湯宿は予約が取れないことでも知られている。全国1~2位の人気の要因は、なんといっても趣のある露天風呂であり、日帰り客はすべての旅館が500円で入浴できるが、1,200円の入湯手形なら3枚のシールが貼ってあり、3カ所の露天風呂が利用できる。評判の良い旅館の露店風呂が低料金で、しかも複数楽しめるとあって、昨年までに入湯手形の発行は1986年から通算250万枚、利用されたシールは600万枚に達しており、その人気は驚くばかりだ。これは、黒川温泉が個人客のリピート率を高め、観光地が抱える最大の課題である需要の繁閑差をなくすことに取り組んできた証である。
 また、入湯手形の経済効果だが、シール1枚が400円に相当し、旅館が250円、組合が150円を受け取るもので、宿の収益と組合運営の安定財源として大きく貢献してきた。昨年度の組合事業費は2億円の予算規模に拡大したが、入湯手形の収入は実に73%を占め、黒川温泉に計り知れない恩恵をもたらしている。

写真27
地蔵堂に、使用済みの入湯手形を奉納する
と、「恋愛成就」「交通安全」「学業成就
」にご利益があるという。
写真28
旅館の軒先に置かれた
「露天風呂めぐり」の
案内板。
写真29
露店風呂めぐりを楽しむ利用客のために、
シャトルバスの発着場となっているお店の
待合所。

原点回帰をめざして、第三世代がスタートを切った

 黒川温泉は、不便な山間部の地形や規模の制約という致命的な弱点を逆手にとって、その弱みを強みに転換し、近代化と拡張を続けてきた他の温泉地と逆行することで、成功を手にしてきた。
 1986年に決起し、黒川に奇跡を起こした第二世代に代わって、2006年前後から、都会を経験したUターン組の第三世代が頭角を現し、30代の若手後継者による活気ある新チームが運営に加わり、組織の新陳代謝が進んだ。
 黒川温泉では、年1回の総会、全旅館が参加する八日会と総務会、理事会を毎月開催し、全員が7つの部会(企画・広報部、環境・景観部、研修・サービス部、プロジェクトマネージメント部、事務所・総務部、女将の会、青年部)の一つに必ず参加して、積極的な活動を支える体制を整えてきた。
 昨年は黒川温泉観光旅館協同組合50周年記念式典を開催し、黒川温泉の地域活性化への取り組みは新たな半世紀を迎えた。クルマ社会の到来を追い風にしようと奮闘した第一世代、黒川温泉のイメージ形成に挑んだ第二世代、そして、第三世代は「今では、黒川温泉旅館も企業として、商売が成り立つようになり、その商売のにおいがお客様の鼻についているのではと感じることもある。黒川が露天風呂めぐりや風景づくりで歩んできた道を、われわれ若手がどのように引き継ぐのか、今は試されている」と、謙虚に原点回帰をめざし、さらに新風を興そうと熱い。
 黒川温泉の原点は、日本人が持つ心のふるさとを失わず、なつかしい田舎の風景を、今に残していることだろう。第一世代から50年、手塩にかけて守ってきた黒川の自然と、自らの手でつくり上げた湯宿と、街並みへの原点回帰を常々自問しながら、第三世代は時代に流されない凛とした、強い黒川をつくっていってほしい。

写真30
「黒川温泉の自然を守る会」の案内板。季
節の野草が楽しめるようにと、訪れる人に
やさしく呼びかけている。
写真31
観光旅館協同組合では数人の専任スタッフ
が交替で、入湯手形の販売や共通パンフレ
ットの配布などの接客をしている。
写真32
黒川温泉バス停留所も茅
葺仕立て、外灯もこだわ
りのデザインである。バ
ス便は熊本・日田、湯布
院・別府、福岡などと連
絡している。
テンポロジー考
執筆者:百瀬 伸夫

中心市街地商業活性化アドバイザー、静岡市まちづくりアドバイザー、町田市街づくりアドバイザー
武蔵野美大建築学科卒 (株)電通にてスペース開発部長、電通スペースメディア研究会、電通集客装置研究会を主宰、その後(株)ロッテ専務取締役。ロッテグループのホテル・百貨店・SC・飲食チェーン・アミューズメント施設・劇場・映画館、ネットビジネス等の開発をサポート。現在、一般社団法人IKIGAIプロジェクト理事、テンポロジー未来コンソーシアム(株)代表取締役。著書に『新・集客力』他がある。

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