「谷中(やなか)」の歴史文化と、美しい街並みがインバウンドに貢献。観光と商業の新たな挑戦が始まる!!
[ 2019.02.25 ]
まちづくり・みせづくりコーディネーター
百瀬 伸夫
東京都台東区の「谷中」地区は平成28年にインバウンド客を含め約300万人を集客し話題になっている。観光目的に名所・旧跡を挙げる声は依然6割と高く、江戸後期から、明治・大正・昭和の街並みと、谷中地区の歴史・文化が再認識され脚光を浴びている。観光商業でにぎわう商店街や観光地化するエリアの今後はどうなるのか、新たな挑戦を続ける「谷中」地区の観光と商業の関わりを探ってみた。

1. 築80年の古民家3軒家を複合してリノベーションした「上野桜木あたり」。オープン以来近所の人や外国人観光客に人気のスポットになっている。ベーカリーショップとビアホール、オリーブオイル店、ヨーロッパのビンテージ服店、レンタルスペースで構成された複合商業施設。路地はレンタル・コミュニティスペースとしてイベント利用している(「たいとう歴史都市研究会」が仲介)

2. 入り口に面する「あたり1」の谷中ビアホールは、こ
こでしか飲むことのできないオリジナル谷中ビールを中
心に、常時8種類の個性豊かな生のクラフトビールと土鍋
で調理したつまみが売りだ

3. 3軒家の奥2棟、右の「あたり2」と左の「あたり3」、
手前に井戸がある
下町風情を残し歴史・文化あふれる「谷中」が注目を集める
2020年のオリンピック・パラリンピック開催も間近となり、関連する建設工事も最終段階を迎え、東京は世界有数の超近代的な都市空間に様変わりする。さらに、デジタル社会の進展は我々の暮らしを大きく変え、あらゆるところで価値観の転換が進行している。クルマの自動運転が目前となる社会において、"近代化"から"近未来"へ、質的変化のスピードが増す一方で、「平成の時代」が幕を閉じ、新たな年号の下で「昭和の時代」はますます遠くなっていく。
そんな中、観光市場において"先端的な近代"と"古き良き伝統"、"四季折々の美しい自然"と"独自の食文化"が共存する日本人気は高まる一方で、2018年のインバウンド客数の推計は前年比8.7%増の約3119万2000人となった。
東京ではこの数年、"イーストTOKYO"がブームとなり、平成28年度の台東区の観光客数は初めて大台越えの5,016万人となった。外国人観光客数は830万人で、2年前から304万人増である。都内全体の訪日外国人数が1189万人で、その8割が台東区を訪れたことになる。東京観光のメッカとして人気の上野(上野公園やアメ横など)、浅草(雷門・浅草寺など)に次いで、下町風情を残し歴史・文化あふれる「谷中」が注目を集め、約300万人を集客した。

4. 観光客でにぎわう「谷
中銀座商店街」

5. 「澤の屋旅館」は、世界の旅行者が利用す
る口コミサイト「トリップアドバイザー」の調
査で東京都内満足度No.1に選ばれた

6. 台東区立「朝倉彫塑館」は、昭和の彫刻・
彫塑家朝倉文夫のアトリエと実家を美術館に
したもの。コンクリート造の旧アトリエと、
丸太と竹をモチーフにした数寄屋づくりの
住居・庭園を和洋折衷した建築空間がユニー
ク。谷中観光目的のNo.1をキープし続けて
いる
「寺と墓ばかりの、時代遅れの町」と言われた谷中
「谷中」は東京23区のほぼ中心に位置する台東区にあり、荒川区と文京区の区境にある。東にJR山の手線「日暮里駅」、北はJR「西日暮里駅」、西は東京メトロ千代田線の「根津駅」・「千駄木駅」、南は上野公園に囲まれた地域で、いずれも1km以内の徒歩圏にある。近くには学芸の頂点を極める「東京大学」、「東京藝術大学」があり、「谷中霊園」には15代将軍徳川慶喜が眠っている。
江戸時代の谷中は寺町で、墓参を兼ねた行楽の地として栄え、町屋が立ち並び、独特の風情を醸す町並みを形成した。明治・大正期になると商工業者が移住するようになるが、江戸時代から台地上の谷地を活かし、狭道をさらにくねらせ、階段を付けたり行き止まりにして敵が進入しづらい町にしたため、区画整理に不向きな地形のまま、近代的都市への基盤整備は行われていない。また、関東大震災や戦災を免れ、木造家屋が密集する地区には、当時の町並みや建物が多く残され、江戸時代の原型を留めている。
しかし、1969年に地下鉄千代田線が開通すると人の流れが一気に変わり、近隣の商店街から急激に客が減少、「寺と墓ばかりの、時代遅れの町」として賑わいを失っていった。

7. 江戸時代に築造された観音寺(かんのんじ
)境内の築地塀。土と屋根瓦を交互に積み重
ねた珍しい塀で、国登録有形文化財(建築物)
に指定され、平成4年(1992)に「台東区ま
ちかど賞」を受賞

8. アートスペース&ギャ
ラリーの「すぺーす小倉
屋」。建物は江戸時代か
ら質屋の「小倉屋」とし
て昭和45年まで使われ、
登録有形文化財に指定さ
れた。手前母屋は木造
2階建で江戸後期のもの、
奥は大正5年に増築され
た3階建土蔵で、風化防
止のためトタン貼りに
なっている

9. 台東区「下町風俗資料館」。江戸時代から
代々酒屋を営んでいた「吉田屋」の建物を現
在地に移築した。正面入口の板戸と格子戸の
上げ下げで開閉する揚戸(あげと)が設けら
れ、当時の商家建築の特徴をあらわしている
「谷根千」の愛称で、脚光を浴びる
そんな中、地元愛にあふれる主婦仲間3人が日本で初めての地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を発行、レトロな街並み・歴史ある神社仏閣、祭りや人間の匂いがたちこめる町を紹介し、「谷根千」の愛称と共にその良さが徐々に浸透していった。また、バブル期には、地上げや乱開発への危機感を持った地元住民たちが「修復・保存型」のまちづくりを目指し立ち上がった。彼らは、固有の価値や魅力を地域の"宝・資源"ととらえ、従来の再開発とは一線を画した価値観の転換を推し進めていった。
70年代に始まった"ディスカバージャパン"は全国的に旅ブームの火付け役となったが、80~90年代には身近で手軽に地域を発見する「安・近・短」が流行し、江戸・下町ブームと重なり江戸と下町の両方の要素をもつ谷中が脚光を浴びるようになった。

10. 江戸千代紙の「いせ辰」
は、元治元年(1864年)創業。
江戸千代紙やおもちゃ絵の
版元で、江戸の文化を反映
した色鮮やかな手摺りの千
代紙や、伝統製法の江戸犬
張子を販売。レトロな"色と
模様"は普遍的

11. あめ細工の「吉原」。日本で初めての
伝統あめ細工の常設店舗。ハサミ一つで動
物のあめ細工が見事に完成!!子どもたちの
目は真剣そのものだ

12. 大正5年の建物で、谷根千の一等地「上野
桜木」に、まちづくりの布石としてリニュー
アルされた「カヤバ珈琲」。今でも谷根千を
代表するシンボル的存在だ。ノスタルジック
な気分に浸れ外国人観光客にも人気
有志達の熱き思いがシビックプライドを醸成した
まちの魅力となる建築やまちづくり・文化財の修復や保存には専門家が必要となり、1989年に藝大や東大の大学院生や地元有志による「谷中学校」が誕生した。谷中学校は、①知る ②提案する ③つながる を理念に、まちじゅうを展覧会場とする「芸工展」を開催、次第に谷中界隈にはギャラリーやカフェが増え、回遊性が増していった。
そして1998年、低層地域に9階建てのマンション計画が持ち上がり、反対運動を起こしたが、谷中学校は、「計画中止ではなく見直し」を交渉し、全国でも珍しく双方が納得する計画変更で決着した。これを契機に谷中では町会・仏教会・商店街などの「まちづくり協議会」が組織され、2001年に谷中学校はより実践的な「たいとう歴史都市研究会(NPO)」に進化、家屋の保存再生、借り上げ、リユースなどの事業がスタートした。
こうした有志達の思いが世間からも認められ、まちを誇りに思うシビックプライドの醸成と共に商店街ににぎわいが戻った。
2015年に「東京文化資源会議」が発足し、地域の生活文化資源を継承するための制度や事業を学ぶプロジェクトスクールが開校、2017年には 「株式会社まちあかり舎」が設立され、家主と入居者をつなぐサブリース事業を中心に積極的な活動に取り組んでいる。

13. 築100年の銅細工屋「銅菊」があった古民家に新設された大丸松坂屋百貨店の研究所オフィス「未来定番研究所」。5年先の"未来定番生活を提案する百貨店"というビジョンを実現するための研究機関 (「たいとう歴史都市研究会」が仲介、これを機に「株式会社まちあかり舎」を設立した)

14. 1階奥の8帖和室から障子を開ける
と坪庭が2面に広がる。2階はフリーア
ドレスのモダンなオフィス空間になっ
ている

15. 20世紀日本の代表的な
工芸家「芹沢銈介」の代表
作「縄のれん文壁掛」が、
当時のまま何気なく掛かっ
ているのがスゴイ!!

16. 銅板を叩いて鍋・やかん・水差しなどを作っ
ていた昔の道具がそのまま保存されている
観光・インバウンドでにぎわうが、観光商業に懸念!!
以前、本コラムにおいて「観光地化する商店街には死角がある」と書いた。理由は、「直接の恩恵を受けない地域住民の支持を失い、地域社会からも離れて行くことにある。交通インフラを持たない商店街では、クルマと歩行者の分離や駐車場問題にも大きな課題を残す。」とした。
谷中銀座商店街は、NHKのテレビ小説「ひまわり」の撮影舞台になり、グルメや街を紹介するTV番組でも商店街が多く取り上げられ、知名度がさらに高まり人気の観光地になった。
また、ネットショッピングの存在が大きくなる社会において、居心地の良い環境や、歴史文化にあふれる空間の価値が高まる時代が来ている。リアル空間でしか得られない確かな体験や感動、近代という日常から離れたタイムスリップしたような異次元空間に豊かさを求める声は年々に拡大しているように思う。世界的に広まりつつある価値観の変化は、インバウンド施策の一つとしても追い風となり、歴史文化を感じる空間体験は大きな魅力になっている。
こうした時代の価値観から谷中が注目される一方で、TVやガイドブックで話題の谷中をのぞいてみたい人達が、休日の商店街に黒山の人だかりとなって、狭い商店街を抜けるのは一苦労である。ブームに乗った観光地は飽きられるといわれるが、まちの魅力に集まる観光客に便乗しただけの安易な商売は真っ先に飽きられてしまう。実際にこうした観光商業への懸念の声はあちらこちらから聞こえてくる。

17. 「カフェ猫衛門」は
築90年の古民家を改装し
たハンズカフェで、自分
だけの"招き猫"づくりが
楽しめる

18. 「招き猫 谷中堂」谷中銀座の七福猫のよう
に屋根に2匹の猫が乗っていて、猫好きが立ち
寄る。店内には招き猫がギッシリだ

19. 江戸時代から続く酒屋「伊勢五本店」
で使われていた建物を改装した自転車店
「Tokyobike Rentals Yanaka 」は、レン
タルサービスのほか生活雑貨やカフェバー
も併設

20. 解体の危機にあった木造アパートに住ん
でいた藝大生が家主と相談し、カフェ、雑貨
ショップ、ギャラリー、ホテルレセプション
に改装、ゲストハウス「HAGISO」を起業
(宿泊施設は別棟)。いつも観光客でにぎわう
最小の文化複合施設として、谷中観光のシン
ボル的施設になっている

21. 「谷中銀座商店街」では生鮮などの最
寄店も健在だ

22. 地元で知られる鮮魚店
「山長」。大正中期から3
世代続く創業100年を超え
る老舗で、ミシュランガイ
ド東京のビブグルマンで4
年連続選出された「魚貝三
昧 彬」を直営している
観光商業にも地域特性が欲しい!!
全国で商店街の衰退が危惧される今日、観光を商店街活性化の起爆剤とするのは自然な流れで、観光資源を持たない地域からすれば、うらやましい限りだろう。商店街を支えてきた地域コミュニティが高齢化と人口減少で弱体化し、さらに大型店やコンビニに客を取られ利用者が減少する中で、観光を活かさない手はないが、観光と商業の関係は簡単ではない。観光地の商店街では、目当てのコロッケを買い食いする観光客でにぎわう光景は珍しくない。ネットの地域観光サイトでも買い食い特集が組まれるなど、メディアの影響も大きいのだろう。
観光地での買い食いは楽しく、アツアツのでき立てを歩きながら食べると確かに「うまい!」のだ。観光商業にも地域特性があり、「谷中」は勿論だが、都内で言えば、「柴又」や「巣鴨」、「浅草」など、それぞれに個性豊かな地域らしさがある。観光客も初心者から上級者まで多様で、もっと深く地域らしさや歴史文化を体験したい人達も大勢いるはずだ。
一般観光客と、谷中の街並みをじっくり味わいたい観光客の双方を視座に、今後もアンテナを張り巡らせ、商店街の繁栄を築いていってほしい。

23. TV取材などで有名
人のサイン色紙がズラリ
と貼られた、"谷中メン
チ"で有名な「肉のサ
トー」の掲示板

24. 「惣菜いちふじ」は何といっても超絶お
すすめの"から揚げ"を目当てに行列が絶えな
い

25. 元歌舞伎役者の店主がはじめた「ひみつ
堂」。"ひ"は氷を意味し、日光地方の三ツ星氷
室の天然氷を使い、"みつ"は果物からつくった
自家製の蜜。おいしいと評判でSNSで火が付い
た
観光と商業の新たな関係にチャレンジ、進化する谷中に期待!!
谷中地区は、高層マンションの建設見直しを話し合いで解決してきた経験もあり、商業者間の利害を調整し、高いレベルの商業を実現することは可能ではないか。
谷中銀座商店街の中ほどにオープンした"やりたい"を応援する小商い「Things.YANAKA」が注目だ。"みんなで使う新しい形"が観光と商業の新たな可能性を示してくれている。また、ゲストハウス「HAGISO」に始まった、谷中の"街全体をホテルに見立てた「hanare」"の試みがグッドデザイン金賞となった。"イーストTOKYO"の一員でもある谷中地区と、架空の商店街"東東京モノヅクリ商店街"との連携も楽しみである。
「まちあかり舎」を始め、谷中にふさわしいまちづくりを推進する動きがさらに加速し、新たな挑戦が始まっている。谷中が今後も進化し続け、観光と商業(商店街)、地域住民とインバウンドや来街者が共存共栄する、今までにない新たな関係が築かれる日は遠くないはずだ。
谷中が根津・千駄木と一体となり、歴史文化と新しい風が混在するまちづくりの未来に期待したい。谷中の取り組みに目が離せない。

26. 谷中銀座商店街の中ほどにオープ
ンした「Things.YANAKA」。地元の不
動産事業者が空き店舗を借り上げ、観
光商業から地域性が失われることへの
懸念から、生活に密着したモノづくり
店舗を誘致。改装費の一部をクラウド
ファンディングで賄った。間口1.5間
×奥行4間、2階建て町家を3つの区画
に分けて、出店者の家賃負担を軽減し
ている。1階は『台湾茶藝館 狐月
庵』、2階は古着・ヴィンテージの
『kilig vintage』と刃物屋『砥ぎ陣』

27. 木造建築の良さを生か
した内装デザインは外国人
にも好評。階段蹴上にも店
舗サイン

28. 2階に出店した、江戸時代から伝承されてき
た手砥ぎの技術が売りの『砥ぎ陣』。外国人や観
光客には選りすぐりの包丁やハサミを販売するか
たわら、近所からも砥ぎの注文が入れば、職人の
技で1時間もかけて手で研げば新品によみがえる
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- 執筆者:百瀬 伸夫
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武蔵野美術大学造形学部建築学科卒 (株)電通 環境設計部長、(株)ロッテ 専務取締役を経て現在、一般社団法人日本ガーデンセラピー協会副理事長、(株)タカショー取締役、一般社団法人IKIGAIプロジェクト理事ほか、中小企業アドバイザー(中心市街地活性化)、まちづくりアドバイザー、産業政策、高齢者就労など自治体の委員を務める。日本経済新聞社「JAPAN SHOP店舗総合見本市」コラム執筆、エクステリア・造園業界誌への連載、共著『新・集客力』などがある。
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