ストックホルム、救急病棟で進行中のホスピタルアート
[ 2016.03.01 ]
病院の壁に絵を描いたり、院内に彫刻作品を置くなど、医療の現場にアートを取り入れる試みが日本でも試みられ始めている。患者の心に作用し、癒しをもたらすホスピタルアートの可能性は、今後さらに様々に探られていくことだろう。今回はホスピタルアート先進国でもあるスウェーデンのストックホルムで進行中の事例を紹介したい。
公共施設にアートを取り入れる「ルール」を政府が設けているスウェーデンでは、ホスピタルアートも早くから導入されてきた。その最新例として、ストックホルム市内で5月完成を目指して進行中のセント・ゴーラン病院緊急治療部(救急病棟)における作品制作の過程に目を向けてみよう。設置されるのは、東京を拠点とするデザイナー、赤羽美和氏の提案だ。
セント・ゴーラン病院、2016年2月の外観。
緊急治療部の建物が改築中で今春完成。5月より一新された建物での診療が始まる。
写真提供: Miwa Akabane(他すべて)
「人は誰でも文化的に最低限保証された生活を送る権利がある」との考えから、スウェーデン政府は公共建築の新築・改築に際して、全体予算の最低1%をアートに充てることを法律で定めている。1937年に導入された「1%ルール」だ。病院の場合は2%を上限としてアートを採用する旨が示されている。
ストックホルム県(Stockholm Country Council)の職員でアートプロジェクト・マネージャーのトールン・スコーグルンド (Torunn Skoglund)氏は言う。「スウェーデンにおける医療環境は公共交通機関、地方開発と同様、地方自治体の管轄です」
「ここストックホルムでは1970年代より医療環境にアートを取り入れる取り組みをしてきましたが、我々が重視しているのは、人生の様々な段階においてアートが社会と個人の生活の双方に影響を及ぼし得るという点。そのうえで病院を訪れる人々に美的で詩的な体験をもたらすのがアートであると理解しています。患者としてのみの体験を変えるものとなります」
セント・ゴーラン病院にて。設置が進む赤羽美和氏によるアート作品。
地方自治体が病院の新設や改築を行う際、前述した「1%ルール」のもとで芸術作品の購入や制作がなされている。その過程を管轄するのはストックホルム県のアート部門。地方自治体として所有する約6万点もの作品コレクションを維持、管理しており、その現代美術コレクションはスウェーデンで最大規模を誇るほどだ。
アートの選考方法そのものにも工夫が凝らされており、ストックホルム県のアート部門では、国内外からプロの作家を公募するオープンな方法を2012年より継続している。「そのことで広範囲のアーティストに我々のアート計画の扉を開き、結果としてより多様なアートを医療の現場へ導入することができるようになった」とスコーグルンド氏。若手作家の提案にも積極的に目が向けられているのだ。
テーマも明快。「パターン」を募るアートコンペ
総合病院であるセント・ゴーラン病院の緊急治療部(救急病棟)の改築を機に行われたホスピタルアートプロジェクトは、2012年の公募に始まった。状況に応じて空間を仕切っての治療が行われる緊急治療部のために、ガラスのパーティション等に用いる「パターン(模様)」を公募するとの内容だ。
公募に際しての課題は実に明快に示されている。同病院緊急治療部に特定の意義を与えるパターンであること、ガラスパーティションは二重あるいは三重の状態で用いることもあるため、サイズも含んで使用状況、場所に応じて柔軟に用いられるデザインであること。
「さらに、階段やエレベーターホール、人々が行き来する長い廊下の中央部にもパターンを拡大して用いる計画がありました。こうして重要な通過点にパターンの一部や関連する造形を活かすことで、病棟の各所が関連し、全体の調和がもたらされることが望ましいと考えたのです」(スコーグルンド氏)
2016年2月。右からスコーグルンド氏(アートプロジェクト・マネージャー)、赤羽氏、マリア・コオレン・ヘルミン氏(アートコンサルタント)。背後には制作中のガラスパーティション。
オープン・コールへの登録は約200名。応募者のこれまでの作品を参照しての第一次選考は、前出スコーグルンド氏のように地方自治体のアートプロジェクトに関わる専門家によって行われている。
まずは寄せられた資料をもとに20名〜30名の作家に絞られた。その後、プロジェクトマネージャーやアート関係者も参加し、最終段階では建築家や病院職員も加わったうえで2名のアーティストを選出、その一人が赤羽氏だった。2013年1月のミーティングで2氏への説明が行われ、2月に作家からの中間報告。4月に2名の最終プレゼンテーションがなされ、2013年5月、赤羽氏の提案に決定した。
病院職員も関心を抱いた「対話」のコンセプト
その内容は、病院関係者のワークショップを行い、そこで誕生した造形を素材として最終的なパターンをつくり上げるというものだった。自身がアーティストで、ホスピタルアートの選出に関わるアートコンサルタント、マリア・コオレン・ヘルミン(Maria Koolen Hellmin)氏は次のように語る。
「ミワ(赤羽氏)の提案には遊び心や楽しさと詩的な面が両立していました。緊急治療部の職員とワークショップを行い、起こり得る課題を解決しながら物語性のあるパターンをまとめあげるという提案は、このアートプロジェクトの本質はもちろん、ここで求められる分析力についても実によく理解していたと思います」
ワークショップ参加者のために赤羽氏が準備した資料。
赤羽氏はサントリー宣伝制作部と広告制作会社のサン・アドにアートディレクター、グラフィックデザイナーとして所属した後、2010年から2012年までコンストファック(スウェーデン国立芸術工芸大学)に留学、Textile in the Expand field学科で学んでいる。
「拡張された分野におけるテキスタイル」と名づけられた同学科ではグラフィック、建築、ファインアートなど多様な背景の人々が自身の表現領域を拡張するべく学んでおり、赤羽氏もその一人だった。彼女が一貫して取り組むテーマが「対話」。「対話がもたらす物語、予期せぬこと、予め用意した枠に納まりきらない状況に興味がある」と、対話をテーマに人々を招いたプロジェクトも行っている。
さらに「造形はもちろん、人と人、状況をつなぐ可能性がパターンにはある」と、パターンの可能性にも継続して取り組んできた。「パターンの醍醐味に関する身近な一例に、パズルがあります。同じパーツを用いても人によって全く異なる造形、物語が生み出されます」(赤羽氏)
アートに取り組まれた職員同士の対話
緊急治療部職員に参加希望者を募ったうえで、ワークショップが行われたのは2013年10月。8人前後の3グループがペンやシール、スタンプ、折り紙、テープ等身近な品々を駆使して長い紙の上に丸、三角、四角による絵を描いた。赤羽氏によると丸、三角、四角は、相手と遊ぶ"じゃんけん"のイメージだという。
ワークショップでは二人一組でラリーのように制作、目を閉じて制作、30秒という短時間で制作する......などのルールが設けられた。こうした工夫も参加者が楽しむ状況に。
「簡単なコミュニケーションであることに加えて、丸、三角、四角の全てが揃えば 『誰も勝たない』状況でもあることから私がデザインによく用いるモチーフです。このワークショップでは他に、『言葉に頼らないコミュニケーション/対話の再発見』もテーマでした。プリミティブな形である丸、三角、四角は、じゃんけんに馴染みがない人々にも造形として取り入れやすいのではと思ったのです」
参加者には次の2点も伝えられた。「自分たちの作品を一緒に作ろう」ということ「ワークショップを通して、共に治療にあたっている仲間をより深く知ることができるのではないか」ということだ。
事実、ワークショップでは、他の人の描写に造形を追加したり、誰かが描いた線をまたぐように自分の線を描くなど、対話としての造形が展開されていった。救急病棟で働く人々の瞬発力や協力体制ゆえのことか、制作中のあうんの呼吸、道具の受け渡しの迅速さも赤羽氏には印象的だったという。
病院職員による制作風景。
「活気に包まれたワークショップでした。我々が描いた造形を最終的な作品の中に発見できることへの期待と同時に、これらの絵をミワがどう料理するのかにも興味がありました」とスコーグルンド氏。
「芸術性が求められていたのではなく、皆が楽しめる内容になっていました。このワークショップは、私たちにとって互いをより理解する"始まりの合図"でもあったと感じています」。そう振り返るのは、制作に参加した緊急治療部職員のアンニカ・ヨハンソン(Annika Johansson)氏だ。
ワークショップで皆が描いた絵を赤羽氏がコラージュし、最終的な作品に。その詳細は本コラム次回で紹介したい。
ホスピタルアートが病院にもたらす空気や患者に対する癒しの効果、職員への影響等は日本でもすでに述べられているが、緊急治療部におけるアートには何が求められるのだろうか。アートコンサルタントのヘルミン氏は次のように語る。
「ホスピタルアートにおいては、人々が様々なレベルで出会うことができる点が最も重要です。アートを日々目にするスタッフがいる一方、緊急治療部を訪れる患者にとってはおそらく一度、しかもその大半が非常に強いストレスを抱えた状態でのみ目にすることになるものでしょう。今回の作品ではその環境が深く理解されたうえで、バランスも考慮された作品が巧みにまとめられています」
病院職員の参加の過程を経て赤羽氏によってデザインされた最終パターンは、日本で陶板に仕上げられたうえで、院内各所に配置されている。次回ではその制作の詳細と完成風景をお伝えしたい。
ワークショップ終了時の写真とグループのひとつが完成させた絵。
階段の壁に設置された作品。ワークショップ開催後、作品制作の様子も次回に紹介。
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- 執筆者:川上典李子
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川上典李子
ジャーナリスト。デザイン誌『AXIS』編集部を経て、94年独立。ドムスデザインアカデミーリサーチセンターの日伊プロジェクトへの参加(1994-1996年)を始め、デザインリサーチにも関わる。現在は、「21_21 DESIGN SIGHT」のアソシエイトディレクターとしても活動。主な著書に『Realising Design』(TOTO出版)、『ウラからのぞけばオモテが見える』(佐藤オオキとの共著、日経BP社)など。
公式サイトnorikokawakami.jp
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