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連載コラム

第24回 温故知新(有機EL照明デザインコンペと藤岡市助の電燈)

[ 2011年3月3日 ]

はじめに

 1月17日の朝、新幹線は運行システムのプログラムトラブルで東京発の上越、東北、山形の各新幹線全面ストップ。停車中の新幹線から携帯電話で「新幹線は動かず、復旧の見込みはない。このままなら米沢には行けず東京に戻ることになる。」と最終審査の審査員から連絡が入ります。このコンペ、最終審査結果を3月8日からのライティング・フェア2011特設会場で発表することになっており、審査延期なら発表予定が延びることにもなりかねない。これは大変なことになったと心配になります。
 コンペの主催はLight Bridge Association JAPAN NPO(あかりの架け橋)で、筆者はその準備で2日前から米沢滞在し、準備を整えていたのでした。
 一時間ほど経過して、運行システムが復旧回復し、有機EL照明デザインコンペ2010最終審査は米沢市民ギャラリー特設会場で無事終えることができました。
 このコンペの入選・入賞作品は、東京ビッグサイト西1ホールの展示会場内に設けられた特設会場「有機ELラウンジ」で発表されます。日本全国のインテリアや建築関係者、そして照明関係者など世界中から視察や買い付けに集まるライティング・フェアです。前回も話題となった有機EL照明のラウンジですが(詳細は過去のコラム参照)、今年は最先端の新用途が提案されます。世界が注目する日本の有機EL照明に、今までにない発想の新デザインの数々と次代の先端的提案が発表されます。
 今回のこのコラムでは、この有機EL照明デザインコンペと日本照明の礎を開拓した明治の偉人「藤岡市助」を紹介したく思います。

1. 777点応募の有機EL照明デザインコンペ

 今回のライティング・フェア2011は前回同様の東京国際展示場「東京ビッグサイト」で、3月8日(火)~11日(金)の4日間にわたり開催されます。世界の主要照明展示会(Frankfurt Light+build、Milano Euroluceなど)と同様、隔年で開催されており、今年はその開催年です。開催の場所が前回の東館から西館に移り、展示スペースが約2倍の16,000平米にもなっての開催なのです。長年来場の方々も、うっかり東館に行かれることないようご留意を!
 その西館会場入り口左側の西1ホールに、有機EL照明デザインコンペ2010の発表展示コーナーがあります。「有機ELラウンジ」と名づけられたコーナーには、厳選された入選・入賞作品19点が、審査時の作品モックアップとその説明パネルで展示されます。777点もの多くの応募作品から一次審査に選考され、二次審査に進んだ秀作たち、それぞれに斬新なアイディアと新規市場性を感じさせる作品たちです。
 このデザインコンペは、世界トップランナーで研究開発してきた山形県米沢市で、今年も審査を実施しました。最初の有機EL照明デザイン公募は2006年のことで山形県内を主に対象としたものでした。まだ有機EL照明が日本で認知されてない頃、ようやくLEDの照明が話題になり始めた頃でした。この第一回目の最優秀賞作品となったのが、世界最初の有機EL照明器具として広く知られるようになった「Fライト」です。このFライト、140ミリ角の白色有機ELパネルを5枚使用した吊り下げ型の照明器具(ペンダントライト)でした。使用パネルは5000cd/m2もの照明用高輝度で、その輝きと明るさは世界中が驚いた優れもので、米沢市の東に位置する八幡原という先端工業団地にあった有機エレクトロニクス研究所で開発されたものでした。何しろ世界最初に有機ELパネルの量産化(「東北パイオニア」において)した地でもあり、米沢は有機EL照明の街ともいえる歴史があります。そうです、米沢市には白色有機ELを発明した城戸淳二博士の研究室がある山形大学工学部があるのです。その城戸研究室、現在も世界最先端の有機EL照明の研究を進めています。
 今回5回目のデザインコンペは、有機EL照明の街「米沢」で審査したのでした。最終審査は雪多い1月17日に行われ、下記の最優秀賞・優秀賞など決まりました。過去最高の応募数777点は、有機EL照明への関心の高まりを示すものであり、コンペ支援団体および協賛企業から市場の早期形成化が進むと期待されました。

有機EL照明デザインコンペ2010
最優秀賞 「エキスバンドライト」
優秀賞  「月明かりの窓」、「Clip bulb」、「E Light」
NEDO賞 「Night pergola」
審査員特別賞 「Water Lily」、「memo-ReL」
奨励賞 「△RGB」、「float」、「light place」

以上の10入賞作品と、他の9入選作が「有機ELラウンジ」に展示勢ぞろいします。過去の最優秀作品の紹介や最新の有機EL照明パネルなども併せて展示されます。ご期待ください。

図1
図1 2010年11月24日に第一次審査会場となった、山形大学工学部創立100周年記念会館

図2
図2 一次審査会場に並べられた応募作品の数々

図3
図4
図5
図3、4、5 一次審査での審査検討の様相

図6
図6 二次審査会場となった雪の米沢市民ギャラリー特設会場ビル 

図7
図8
図9
図10
図7、8、9、10 作品のモックアップと説明図面による二次審査会場

2. 日本のエジソン -藤岡市助に学ぶもの-

 2月11日の建国記念日、照明文化研究会の平成23年度総会がありました。その席で日本の電気黎明期の中心人物「藤岡市助」についての報告がありました。ちなみにこの照明文化研究会は、日本の灯り文化や照明の歴史学習をする会で、1969年(昭和44年)に故深津正氏(当時、日本電球工業会常務理事)の提唱により、照明学会・照明普及会との連携で「照明文化の歴史に関する有識者の集い」と称する会(照明文化研究会)が発足したのでした。40数年の経た今日も活動を続けているのです。筆者はこの研究会会員であり、日本の電気、科学等の近代化に大きな貢献をされた藤岡市助博士の話は今までに多くの報告がなされてきており、日本の照明を創った人として知っていましたが、今年度総会での報告は特別な思いを持って聞きました。なぜなら2ヶ月ほど前に、山口県に訪問した際に藤岡市助記念コーナーに行ってきたからです。
 この「藤岡市助記念コーナー」で実に多くのこと(生い立ちや立身出世や社会貢献等々、さらには晩年の様子など)を知り、偉大な功績の数々を再認識しました。そして日本の照明の、日本電気界の父とも称される藤岡市助博士のことを知るほどに、日本照明界がSSLでの新実業展開するに、博士の軌跡は大いに参考になると思い始めています。欧米の近代化に遅れをとっていた明治時代とは事情が違う昨今の日本照明界ですが、新光源の導入には新たな実用環境創出が必要で、藤岡市助博士の電球普及へのその道のりと合い通じるものを感じるのです。

図11
図11、山口県岩国市にある「岩国学校教育資料館」、この中に藤岡市助博士の記念コーナーがある。

図12
図12、記念コーナーにあった藤岡市助氏の紹介パネル

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図13、14、15、16、17 藤岡市助の記念コーナーの様子

 山口県岩国市にある「岩国学校教育資料館」、ここに今日の日本電気界の基礎を作った男、明治の日本電気界揺籃期の偉人・藤岡市助の記念コーナーがあります。展示はどれも貴重なものばかりで、見学はとても充実ものでした。広くはない古い木造の部屋に、所狭しと置かれた藤岡氏ゆかりの品々や開発研究した数々を拝見し、少し興奮しながらそしてじっくりとその史・資料を読み、当時の様子を思い浮べたのでした。
 展示すべてを拝見し終え、資料館から退館しようと管理の方にお礼を伝えたところ、藤岡市助を記した一冊の本を見せてくれました。私があまりにも熱心に解説文など黙読していた様子を垣間見られてのことであったからでありましょう。
 「藤岡市助博士のことは、この本がもっとも詳しく記載されていると思われますが、この本を読まれるとよろしいと思います。」との教示でありました。そして「ここには一冊しかないので、図書館に行かれたらよいかと・・・。」と重ねて教示くださいました。その本の名は「日本のエジソン―藤岡市助に学ぶもの―」佐山和郎著でした。本巻末に工学博士藤岡市助の年表が記されていました。その中から重要と思われる事柄のみ抜粋し、氏の生い立ちや功績(ほんの一部ですが)を知っていただければと思います。

 1857年山口県に生まれた藤岡市助氏は岩国英語学校から東京の外国語大学に入学し、その後工部大学校に入学、エアトン教授に師事し、電信学を修めます。その後エアトン教授の指導の下、市助は1878年アーク灯を点灯。日本で初めて電気のあかりを点灯させます。そして、アメリカフィラデルフィア万国電気博覧会視察後、ニューヨーク電灯会社などのアメリカ電気業界を視察し、この訪問で英国のウィリアム・トムソン氏の教えを受け、さらにエジソン研究室を訪ね会談をしています。トムソンとエジソンとの会談から市助は、科学研究とモノづくり(製品の国産化)の重要性を強く認識し、帰国後、一身を日本電気事業創設に捧げる決心をしたのでした。
 1885年、長崎県山口紡績所注文の白熱電灯用発電機を設計し、製作(日本初の白熱電灯用発電機製作)。またこの年、東京銀行の集会所の開業式で、日本初の発電機を用いて外国製の白熱電灯を点灯させ、列席者を驚嘆させたのでした。
 1889年、欧米視察時に購入した電球製造実験用機械を用いて、東京電灯の実験室にて炭素電球12個を製作します。これが日本初の白熱電球になります。そして1890年、合資会社白熱舎(現:東芝)を創立し、炭素電球の製造を開始します。その後白熱舎は東京白熱電燈球製造株式会社、そして東京電気株式会社と改称し、市助は社長として電球の国産に尽力します。1913年に東京電気株式会社の本社を、東京・田町から川崎に移転。本格的な電球量産が始まり、タングステン電球「マツダ」が全国に普及するのでした。
 
 以上が日本の白熱電球のルーツであるわけですが、このタングステン電球は当時最高の電球技術であり、その技術は米国GE社の特許でした。この技術が導入できたのはGE社との提携(資本と技術の導入)成立があったからで、提携がなかったら今日の日本照明界は別の様相になっていたでありましょう。というのは、東京電気株式会社と改称した1899年(明治32)ごろの日本電球事情は、国産は市助氏率いる東京電気1社の生産販売品だけで、多くは当時舶来品と称された英米仏独製輸入電球でした。しかも電球先進国の品質が良いものが、価格競争を展開していたのでした。特に独舶来電球の値引き乱売は東京電気存亡危機につながり、市助氏はGE社への支援要請をします。そして1905年(明治38)にGE社と提携を結び、存亡危機を乗り越えたのです。本格的電球量産のため川崎に広大な土地購入をしたのでした。

 ちなみに市助氏の功績は電球だけに留まりません、日本初の水力発電(琵琶湖疏水)の発電機を設計し、その製造指導をしたり、エレベーターを設計、浅草の陵雲閣に設置したり(日本初のエレベーター設計製作)、大電流送電の太銅線の国産に成功し、現在の日本国内の大容量送電線や通信線の礎を築いたり、電車の新式電気モーターの設計製造をし、日本国内の電気鉄道普及にも尽力しているのです。まさしく日本の電気界のスーパースターなのでした。

図18
図18 開業当初の白熱舎外観(市助氏記念コーナーの年表パネルより)

図19
図19 東京上野で開催された内国勧業博覧会での電気鉄道(おなじく記念コーナーより)

図20
図20 マツダランプ(おなじく記念コーナーより)

図21
図21 東京電気株式会社川崎工場(日本のエジソン-藤岡市助に学ぶもの-佐山和郎著より)

 電球製造から始まった事業は、電球製造で培った真空技術からX線管などの医療機器製造、無線関係機器製造へと、電気機械器具を網羅する一大製造事業へと成長します。その東京電気は1939年(昭和14)、芝浦製作所との合弁により東京芝浦電気が誕生、今日の東芝になります。照明部門は現在、東芝ライテックが事業展開しています。

 ところで私は照明業界にお世話になって長きになります。1972年からですから本当に・・・。
今回の山口県訪問で岩国市の藤岡市助博士のお墓にお参りしてきました。市の中心から西に位置する錦帯橋から程近い妙覚院という境内にありました。お墓近くには氏の偉業を称える看板もありました。照明文化研究会の今年度総会でも東京都内にもある氏のお墓の報告がありましたが、その都内に残された墓碑には博士の功績が明記されていると聞き及んでいます。機会を見つけてその墓碑を見に行きたく思っています。

 日本の照明界の父と言われる藤岡市助博士が心血注いだ白熱電球ですが、今世界中で省エネ光源のLED電球に変わろうとしています。日本では東芝ライテックが業界に先駆け一般白熱電球の製造を2010年に中止しました。日本の電球製造各社も2012年には製造中止となります。
 東京電灯(現:東京電力)の実験室で産声あげた日本初の国産電球12個から、白熱舎、そして東京白熱電燈球製造株式会社へ、さらに東京電気株式会社が東京芝浦電気株式会社(東芝)となり、東芝から分社した東芝ライテック株式会社と引き継がれた藤岡市助の電球、その電灯黎明期の出来事は、まさしく現在のLED照明普及とも重なって見えるのです。
 時代背景は異なりますが、21世紀のLEDは世界に先駆け日本が量産化に成功し、展開してきました。今世界の照明業界はLED実用が本格化しようとしています。日本発のLED照明製品、広く世界に展開されること願う次第です。

 最新LED製品群が一同に集まる3月8日からのライティング・フェア2011、世界商品となるLED照明の数々も展示されましょう。さらに第一線で国内外の照明分野で活躍されている方々の講演などもあり、照明の最新情報が入手できるライティング・フェア2011、必見お勧めです。

照明技術・デザイン最新事情
執筆者:落合 勉

照明デザイナー
M&Oデザイン事務所代表
LBA JAPAN NPO 理事長、愛知県立芸術大学非常勤講師、照明文化研究会 会長


1948年愛知県三河生まれ、ヤマギワにて照明を実践。
1991年横浜にてM&Oデザイン事務所スタート、現在に至る。
2001年からLED照明デザインワークに特化しての活動を展開、そして2006年からはOLED照明普及にも尽力。
2006年のALL LEDの店舗空間、2008年のALL LED街あかりや住空間、2009年のALL OLED照明空間など手がけ、SSL快適照明を探求提案。
器具のプロダクトデザインや照明計画などを行う傍ら、国内外の照明関連展示会や企業などを訪れ、グローバルな照明最新情報をインプットする。コラム(http://messe.nikkei.co.jp/lf/column/ochiai/index.html)参照。
趣味は古灯具探索で、日本のあかり文化の認知普及活動を展開中。
2009年7月、Light Bridge Association JAPAN NPOを設立し、理事長に就任。
次世代のあかり文化を担う「あかり大好き人間」の育成を目指している。

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