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連載コラム

渋沢栄一著『論語と算盤』(角川ソフィア文庫)(1)

[ 2010年3月9日 ]

小売業の業態革新

 この本を読んでみませんか?
 語学系出版社、ベレ出版の内田眞吾さんと荻窪の寄港地で食事をしていたとき、ふいに差し出されたのが、この本、渋沢栄一著『論語と算盤』であった。ケース入りの美しい書物である。限定1000部の復刻版(頒布価2000円)。平成20年11月11日発行とある。監修と発行は、財団法人渋沢栄一記念館と東京商工会議所新宿支部。後者の名があるのは、渋沢栄一が初代会頭に就任した東京商工会議所が創立130周年を迎え、その記念として刊行されたためだ。
内田さんは「読みたいならお貸しするから持っていっていいよ」とおっしゃった。こんなきれいな本をと戸惑ったが、気にする私に、きさくな氏は、いいから、いいからと手渡してくれた。

1 なぜいま『論語と算盤』か

 そんないきさつもあって直後の出張の際は、この1冊を持ち歩き読みふけった。読み進むにつれ、なにか現代に足りないもの、必要なものがここにある、という感を強く抱き、かつ深くした。
 ざっと読み上げたころ、たまたま児童書出版社、偕成社の今村正樹さんから、拙著新刊『売場の〝思想〟がお客を集める! たたかうお店のバイブル13冊』(青田コーポレーション出版部発行 八潮出版社発売)のご感想をいただき、そのなかにも――まったくの偶然だったが――この『論語と算盤』のことが触れてあった。

何も渋沢栄一の『論語と算盤』にもどれとは言いませんが、日本の現代ビジネスマンには本来の哲学が欠けているように思えます。

 私は同感を禁じ得ず、この一言で、渋沢がまたグッと近づいた。そこでさらに実感をつかみたいと、城山三郎さんの『雄気堂々(改版)上・下』(新潮文庫)を読みはじめたら、これがおもしろくてたまらない。一気呵成にといいたいが、逆に、1カ月ほど掛けていねいに読み込んだ。その結果、幕末から維新、明治の時代を、独自の価値観で生き抜いた、実業家像がくっきりと浮かび上がってきた。そのうえでもう一度『論語と算盤』に挑んだ。
 じつは『論語と算盤』には、角川ソフィア文庫版(角川学芸出版)もある。タイトルは同じで、こちらも同年の10月発行。市販していることから、ネットで知ったあと、近くの書店ですぐ購入した。私は本を読むとき、小説以外は、赤いボールペンでチェックする(ときには小説も)。1枚1枚めくりながら、ほとんどのページに赤線を引いた。ついつい熱中したのである。
 また同時期に発売された関連書に、東京商工会議所編による『渋沢栄一 日本を創った実業人』(講談社+α文庫)があった。2009年には、山本七平著『渋沢栄一 近代の創造』《祥伝社》、さらに2010年2月には、渋沢栄一著・守屋淳訳による『現代語訳 論語と算盤』(ちくま新書)も刊行された。もしかすると、渋沢栄一が静かなブームなのかもしれない。
 前述の今村氏はこの本も評価し、読後感をこう述べている。

講談社+α文庫の『渋沢栄一 日本を創った実業人』は、おもに渋沢70歳を越えての訪米団の記述が中心となっていますが、当時から対米友好に心を砕いた渋沢が、晩年の切迫した時局をどう見ていたのか『論語と算盤』にも懸念を示す記述が見えます。どれだけ偉大であっても一人の人間にできること、できないことがあるという事実を思い起こさせられます。

 じつは今村さんの祖父、永野護氏は、渋沢栄一の秘書であった。その永野氏が『敗戦真相記』(バジリコ 2002年)という本を書いている。太平洋戦争の背景に斬り込む意欲作である。「この本は、敗戦の年におこなった講演の記録です。直接、渋沢栄一に関する記述はありませんが、渋沢栄一の思想的DNAを強く感じさせられます」と今村さんは語っている。

 ともあれ渋沢栄一は、明治維新という革命の時代を生き抜いた人物である。この本『論語と算盤』は、そこを念頭において接したい。読んでみて、なんだ、普通じゃないか、なんて考えてはいけないと思う。現代を底支えしてきた価値観なり思想というものが崩壊したいま、たとえ質朴でも、確固とした考えが求められているからだ。
 
 店づくりとか売場づくりに、直接、言及していない本書を、「お店のバイブル」でなぜ取り上げるのか? 改めて考えると、本書には、店舗事業や売場運営の根底に、必要な考え方なり思想が、まさしく潜んでいるからにほかならない。たとえば小売業は、いま、食品をはじめとする偽装問題に、いやおうなく巻き込まれている。二度とあってはならない、起こしてはいけない――そう決意するとき、明快な価値観に立つ本書が、光り輝いてみえてくるのである。
 渋沢思想の核心を、モラル、倫理、道徳、道義、良識、ヒューマニズムと呼ぶのは、どれであれ、若干の抵抗感を感じてしまう。職業倫理、行動規範では狭すぎ、かといって人間らしさ、人間的といってはやや広すぎる。呼び方はどうでもいいのだが、このようなことを示唆するなにか(流行った言葉だが「品格」だろうか)が、本書では、繰り返し、熱く説かれている。 ここをこそ我々は学びたい。

2 渋沢栄一の人生

 では、はじめに、渋沢栄一の人生から入っていこう。
 渋沢は、1840年(天保11年)、埼玉に生まれた。大蔵省に勤務したあと、第一国立銀行や王子製紙、日本郵船など、数々の企業、学校、業界団体などを作り、1931年(昭和6年)に逝去した。生を得た1840年は天保の改革の前年で、亡くなった1931年には満州事変が勃発している。激動の歴史を、果敢に生き切った生涯であった。

 改めて生い立ちから記すと、渋沢栄一は、1840年3月16日(天保11年2月13日)、武蔵国榛沢郡血洗島村(現埼玉県深谷市血洗島)に、渋沢家の長男として誕生した。
 生家は、米や野菜を作るといった農業を営みつつ、養蚕、藍作りや藍玉の製造販売もおこなう豪農だった。一般的な農家と異なり、藍の販売や藍葉の仕入れなども手掛けることから、仕事には高い商才が求められた。栄一もよく手伝ったのだが、これが後年の事業に生きてくる。

 渋沢栄一は、幼少より好奇心旺盛で、父親の薫陶のもと、学問にいそしみ読書にふけった。はや7歳で、10歳ちがいのいとこ、尾高新吾郎(惇忠)から、『論語』をはじめとする四書五経や、『左伝』『史記』『日本外史』などを学んだほどである。
 かてて加えて剣術にも熱心で、同じくいとこの新三郎より神道無念流を習った。文武両道といってよい。18歳で新吾郎の妹、千代と結婚後、江戸に遊学、儒学者である海保漁村の門下に入る。北辰一刀流の千葉道場に入門して以降は、勤皇の志士たちとの交流もはじまった。
 新吾郎の学問が水戸学の影響を受けていたこともあり、しだいに尊皇攘夷の思想に共鳴していく。長州蕃がアメリカと、薩摩藩がイギリスと交戦した1863年(文久3年)、渋沢は、尊皇攘夷の実践として、なんと、高崎城乗っ取りと、横浜の外国人居留地の焼き討ちを計画し、幕府を倒そうとする。しかし、新吾郎の弟である長七郎の説得で断念した。

 日本経済のインフラを創り、日本資本主義の父とまで呼ばれた人物が、高杉晋作ばりに、焼き討ちを計画したとは驚きを禁じ得ない。これ以降の人生も波乱につぐ波乱であり、簡単に紹介するのでは誠にもったいなく、前述の『雄気堂々』、もしくは、津本陽著『小説渋沢栄一(上・下)』(幻冬舎文庫)、加えて、ちくま新書版『現代語訳 論語と算盤』についている「渋沢栄一小伝」で追っていただくことをお勧めしたい。
 
 以下、紹介は、市販されている角川ソフィア文庫版からとする。この版は、新字体を使って読みやすく、また冒頭と最後に「格言五則」を配し、さらに各章の頭に注目フレーズを置く、という親切な編集を採っており、すこぶる学びやすく編まれている(この「格言五則」は、底本である忠誠堂昭和2年刊の『論語と算盤』」のものだが、今回、解題者の加地伸行氏により訳注が付された)。

 明治6年、渋沢は官を辞して「年来の希望」であった実業の世界に身を投じる。その際「志を如何に持つべきか(p31)」を考えたとき、幼いころ学んだ論語を思い出す。

論語にはおのれを修め人に交わる日常の教えが説いてある。論語は最も欠点の少ない教訓であるが、この論語で商売はできまいかと考えた。そして私は論語の教訓に従って商売し、利殖を図ることができると考えたのである(p31~32)。

 そして「論語を最も瑕瑾(かきん)のないものと思ったから、論語の教訓を標準として、一生商売をやってみようと決心(p33)」するのである。
 決心後、その言葉にたがわず、渋沢栄一の価値観は、論語を拠りどころにしていくのだが、経緯からして、その傾倒ぶりは並でない。「私は平生、孔子の教えを尊信すると同時に、論語を処世の金科玉条として、常に座右から離したことはない(p23~24)」と打ち明け、さらにつづいてこうまで言及する。

現今世の進歩に従って、欧米各国から新しい学説が入って来るが、その新しいというは、われわれから見ればやはり古いもので、すでに東洋で数千年前に言っておることと同一の者を、ただ言葉の言い回しを旨くしておるに過ぎぬ(p26)。

(次号につづく)

新・お店のバイブル
執筆者:青田 恵一

福島県出身。中央大学法学部法律学科卒業。中小企業診断士。
長年、小売店(八重洲ブックセンター、ブックストア談などの書店)に勤め、店長、営業企画課長、事業推進部長などを歴任。数々の出店と店舗指導に関わる。
現在、コンサルタンティング会社「株式会社 青田コーポレーション」代表取締役。
経営コンサルティング、店舗診断・提案、研修、出版、執筆などに従事。書店中心に商品レイアウト変更や販売促進を得意テーマとする。
2001年 日本エディタースクール「編集コース」終了。
2003年 『よみがえれ 書店——V字回復へのヒント』(青田コーポレーション出版部発行、八潮出版社発売)を刊行。
2004年 『書店ルネッサンス——進化・視察・出版営業・未来・電子ペーパー』(同)を刊行。書店進化論や、電子ペーパー報告などを収録。
2005年9月には「たたかう書店—メガブックセンター・責任販売・万引き戦争・ジャンル別マネジメント・新古書店対策—」(同)を刊行、「よみがえれ 書店」シリーズ完結編として注目を集めている。同書は日本図書館協会選定図書にも選ばれた。

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