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連載コラム

「お客様は生命の親」であることを伝える、山本徳次著『たねやの心』(2)

[ 2010年8月3日 ]

前回よりつづく)

4 商いとは

 商人心得五条には、文字通り、商人の心得――あるべきビジネスの姿と言い換えてもいい――が5つ述べられている。これらができていないからこそ、企業不祥事は終わらないのかもしれない。5つの内容は近江商法のエキスともいえ、それがなにかは、ぜひとも本書に当たってご確認いただきたい。ここでは、その5つの事柄が、自店、自社で本当に実施されているか、そういう点検の心算で読むスタンスも欠かせないだろう。
 5つの心得の前のところに、ビジネスの本質を突く一節があるので、そこだけご紹介したい。

「商ひ」とは
福を見つけ
福をつくり
福分けをすることと覚ゆれば
商行(あきな)ひの心
次の五条と心得べし(p121~122)

 そのまま読むと、「福を見つけ」ることと「福をつく」ることが自店での施策、「福分けをする」ことがお客さまへの対策と考えられる。なにがお客さまに〝幸い〟をもたらすのかを発見し、またそれを目に見えるよう形あるものとし、そのうえで具体的なインターフェイス策として、顧客に提示すべきではないか、と説かれているように思う。
 消費不況が進み、生き残りのため、やむなく「リストラ」に走り、結果的にお客さまへのサービスレベルを低め、それが顧客をもっと減らすという、負の連鎖に陥る例があとを絶たない。のみならず、自店、自社の利益か、顧客サービスを優先させるか、このジレンマの泥沼に足を取られ、身動きできない店、企業も少なくないだろう。
 そういうお店は、この文章を、何度も噛み砕くように読み込み、方向性を見出していかれることをお勧めしたい。
 山本徳次氏は「畢竟(ひっきょう)、商いという行為は、福を分けるという心根に尽きる(p181)」と言い切ったうえで「福は自らのものだけやのうて、その福を他人さまといっしょに味わい、共によろこぼうということではないやろか(同)」とつづけている。

『末廣正統苑』には、チーム力を重んずる一節も見受けられる。

「商ひ」とは
材と砂糖と塩と水と火加減の和こそ
真の味――奥味(おうみ)を成すなり
奥味を成す大基(おおもと)は之人の和なり
而して 和に徹する中にこそ
和而不同(わしてどうぜず)の生命が生くるものならむ(p127)

「和而不同」という表現には、深い味わいが感じられる。しかしこの按配は簡単ではない。誰しも、日々、「和」と「不同」の間で悩むのが常といってもよい。これについては、その前の

良き商人(あきうど)――良き人の心柱は和なり
凡(あら)ゆるもの和にはじまり
和につきてこそ 美を成すなり(p126)

というなかに、手掛かりがあるものと思われる。

 イノベーションについては、つぎのように言及される。

刻(とき)は常に新し
商人なれば新しき刻を 新しき商ひ 新しき福となして
凡(あら)ゆるもの和にはじまり
新しく使ふべきなり(p118)

 このなかで「新しき商ひ」は店でのイノベーションを、「新しき福」は顧客のベネフィット(いわば、お客さまの幸いを)、それぞれ示唆していると考えられる。「新しき商ひ」が「新しき福」になってこそ、イノベーションといえることが、ここで、高らかに宣言されている。いずれにせよ、お店の商い、経営において、革新の必要性を強く教示する箇所ととらえてよい。

5 あるべき店づくりとは

 店づくりについて応用できる言及もみられる。「人間生きるということは日々これ物語を創り重ねていくこと(p39)」「お店の構えやしつらえなんかもこの物語性というのが重要な要素になる(同)」のあとで

生きるということが、日々これ物語を創ったり探したりするという旅であるとするなら、お店もそれに応えるようにしておかんとあかんし、当然お菓子の表情にもどこかお客さんに語りかけるようなものがないとあかんと思うのや。何の表情もないのっぺりとしたお菓子ほど味わいのないもんはない(同)。

という指摘があった。のっぺりしていていけないのは、もちろんお店も同様だ。つぎのように、懸命さを日本的に表現している箇所もある。

手塩にかけるというあたたかいことばを私たちは日本語としてもっている。おそらくもとはわが子に与えるおにぎりやお惣菜にどのような塩加減をするかという親たちの愛情からうまれたもんやろな。そのように、菓子を作るのも手塩にかけて一生懸命に作らんならん(p108)。

 店づくりもまた、「手塩にかける」対象となるのは、いうまでもない。お客さま本位で、手塩にかけて、店づくり、売場づくりをおこなうとは、なんと素晴らしいことだろうか。
 この度、たねやの新商品「サイコロ寒天」が発売されたが、これがフレッシュかつなめらかな食感の味わいで、やはり手塩に掛けて開発したことが伝わってくる。

6 偽装事件への見方

『末廣正統苑』の「走る勿れ」の解説で、著者は、走り急ぐことが最も危険、として以下のように説く。

最近、食品偽装など商道徳を逸脱した行為が世間を騒がせている。なんでこういうことが起きるのか。いろんな要因があるやろけど、要は走り急いでしまうことやないやろかな。儲けを急ぐあまり、私利に走り、しっかりと確かめながら歩んでいかんならんところを、急ぎ走ってしまい、見えるもんも見えんようになってしもうた結果やろかな。あまり急ぎ走ってしまうと、見えるもんも見えんようになってしまいますよ、という戒めやな(p149~150)。

 偽装事件については、別な観点からも分析される。

要は、商いをするにあたって、悪いことはしたらあかん、ということと、奢(おご)り昂(たか)ぶり傲慢(ごうまん)になってしもうたらおしまいや、ということや。それには、祈りにも似て、世間様、世話になった人々に何とか善かれと思うことを何時も心掛けていないと、悪魔に足元をすくわれてしまう(p194)。

「祈りにも似て」という一句に眼が留まる。ここに、著者、山本徳次氏の食事件への怒り、そして、少なくとも自社グループでは断じて起こさない、という強い決意が、かいま感じ取れるのである。そういえば「商道徳の無惨な低下(p31)」という表現もあったし、「消費者はもう商売人を信じてない(p32)」というテーマ立てもみられた。そしてつぎのような言葉も。

こうなるともう規制とかチェック機能とかの問題やない。よしんばそういうものを用意したとて、それが根本的な解決になるとは思えへんのや。これはもう言うならば、社会的教育とでもいうべき問題であり課題やないやろか。わしは思うのやが、もうこれは最低のところまで侵食されてるんやないかと、そらおそろしい気がする(p33)。

ではこの問題に、たねやはどう対処し予防してきたのか。

食品業界において、産地偽装などさまざまな不祥事が問題になったのはごく最近やが、そんな問題が社会的にはまだ全く話題にのぼってもいなかった一九九八年、うちでは農業生産法人を設立した。というのは、春の季節には必ずお店に出す草餅に使うヨモギにちょっと疑問を抱いたんや。 その頃、うちでもヨモギを年間約五トンほど使うてたんやが、仕入れるにしても、どうもトレーサビリティー(流通履歴)がはっきりとせんような気がしていた。多少コストはかかっても、安全・安心に越したことはない。もともと近江の湖東は米どころでもあり、農業も盛んなところや。ヨモギなら自分たちでも納得のいくような栽培ができるかもしれん。そこで、工場と企画部門が一体となってプロジェクトを進めた(p104)。

少しでも疑いがあれば、芽のうちに摘んでいたのだ。それもこのような革命的な対応で――。改めて感銘を深くする。

7 批評の眼

 社会と人間への批評も、説得性が高く魅力的だ。とりわけ、現代の人間への批評が鋭い。頭をあまり下げない現代人に、頭を下げて回っていた近江商人を、対比させ「二本足で歩きはじめたホモサピエンスという動物は、よくよく頭を下げることを厭うようになったさかいな。近江商人というのはえらいもんやとわしはつくづく思うのや。これも見習わんとあかん(p148)」と述べている。
 批評の眼は、第1章、第2章においても、シャープに展開されている。いくつかあげてみる。

普通の経済活動は、身体を動かし、額に汗して初めて金というものが動く(p20)。
原理原則を心の隅にでもしっかりと温めておかんと、反省するよりどころがなくなってしまう(同)。
今の社会は、こういう過酷な状況を経験してきてないんや。それだけに、辛抱する、耐えることに弱い(p21)。
皆で、ええ勉強や、ええ経験やとじっと耐えていくより他のまわり道はないやろな。そしたら、原理原則も見えてくる(同)。
経済活動というもんは、大々的になればなるほど、当初の思惑通りにはいかんようになる(p23)。
国際人ていったいどんな人種や。ほんまにそんな人間がいたらちょっと気味悪い(p75)。
人の感性というもんはその人が生まれながらに持っているもんかもしれんが、わしはそんな簡単なもんやないと思うのや。人の感性というもんは、その人が生まれ育った環境やその地の歴史のふかーい知恵のようなものが大いに作用してる(p96)。

 以上のように、著者、山本徳次氏の批評は、読者を、ときに励まし、ときに慰め、ときに眼を拓き、ときに感動へ誘う。そして湧いてきた勇気が、なんらかの行動へと駆り立てるのだ。これこそ、評論家ではない、真の実践家の批評というものであろう。

(次号につづく)


新・お店のバイブル
執筆者:青田 恵一

福島県出身。中央大学法学部法律学科卒業。中小企業診断士。
長年、小売店(八重洲ブックセンター、ブックストア談などの書店)に勤め、店長、営業企画課長、事業推進部長などを歴任。数々の出店と店舗指導に関わる。
現在、コンサルタンティング会社「株式会社 青田コーポレーション」代表取締役。
経営コンサルティング、店舗診断・提案、研修、出版、執筆などに従事。書店中心に商品レイアウト変更や販売促進を得意テーマとする。
2001年 日本エディタースクール「編集コース」終了。
2003年 『よみがえれ 書店——V字回復へのヒント』(青田コーポレーション出版部発行、八潮出版社発売)を刊行。
2004年 『書店ルネッサンス——進化・視察・出版営業・未来・電子ペーパー』(同)を刊行。書店進化論や、電子ペーパー報告などを収録。
2005年9月には「たたかう書店—メガブックセンター・責任販売・万引き戦争・ジャンル別マネジメント・新古書店対策—」(同)を刊行、「よみがえれ 書店」シリーズ完結編として注目を集めている。同書は日本図書館協会選定図書にも選ばれた。

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