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連載コラム

「お客様は生命の親」であることを伝える、山本徳次著『たねやの心』(3)

[ 2010年9月7日 ]

前回よりつづく)

8 人生観

 『末廣正統苑』には、人生に関する教えも数多い。

我が道も 我が健康(からだ)も 我がなりはひも
之全(みな)父母をはじめ 我が師 我が先達 我が伴友(ともだち)など
世のひとびとの温(あつ)き情(こころ)のたまものなり(p143)

 この箇所を解説する山本徳次氏は、私たちがいま元気に働けるのも、親や先生、友人などの「温かい情愛」があってのことといい、忠告の大切さを教える。忠告は「温かい情愛」があってなされるものだ。本当は、忠告するほうがつらい。「しないで済ませれば楽(p144)」なのだが、あえておこなうのは「情愛あってこそ」の行為という。とくに若い世代に強く呼び掛ける。そこから逃げるな、と。

周囲の年上の人なり、先輩で、煙たいなあ、何やら近づくと何か言われそうでうっとうしいなあ、と思う人を避けたらあかん。何で近づくのを避けとうなるかというと、痛いことを言われたり忠告されたりするのを本能的に知ってるからや。そりゃあ、自分にとって都合のええことだけを言うてくれる人のそばにいたら、まあ何とのう気分もええし、楽やわな。これがあかんのや。自分の道に甘くなってる証拠や(p145)。

 ここを通り抜けないと、いざリーダーになったとき、後輩なり部下を育成できずに困るだろうし、そもそも指導的立場になる資格そのものを、問われることにもなりかねない。人によっては、清水から飛び降りるくらいの決意で、この課題に向き合うべきとも思われる。

 で、ここから「人がいちばん幸せに思う瞬間とはいったいどういうとき(同)」かと問題提起し、その問いにこう答えている。ここは本書中で、最も美しい文章のひとつである。

それは、一瞬なりとも、周囲の人々や物事に感謝する心を持った自分の存在を知るときやないかと思うんや。そしてその幸せとは、きっと次につながっていくもんやろと思う。なぜなら、自分がしてもらってうれしく、また幸せなことは、他人にもしてあげられたらなあ、と他を思いやる心が湧いてくるからや。自分だけのためやのうて、他のために何か力になることができたら、これもまた、人としての大きな幸せやないやろかな(同)。

 誰しも「自分」という枠組みを超えられず、自分と他者との間で苦しむことになりがちだ。だから、部下の手柄を横取りしたり、上司にへつらったりということも、残念ながらはびこってしまう。突破口はどこにあるのだろうか?
 著者は、その答は「感謝する心」であるといい、このことを「周囲の人々や物事に感謝する心を持った自分の存在を知る」ところに求めている。その結果、自然のうちに、他人を思いやる心、助けようという美しい気持ちが湧いてきて、それがまた「人としての大きな幸せ」を呼び込むと訴えているのだ。
若い人たちに、働き甲斐は自分で創れ、と発破を掛けてもいる。

他人が喜ぶ姿を見てそれを真に自分の喜びとすることができたなら、これはもう商人としても一人前(p198)。

 「人の不幸は蜜の味」とかいわれるように、このことも難しい。そのゆえに、ここでの教えが貴重なのである。これと、苦楽を考察するつぎの一節は関連する。

苦楽はこれどうやらひとまとめにして考えた方がよさそうやな。世の中、苦ばかりでもなければ楽ばかりでもない。苦楽相半ばして、とまれ楽に転じることが肝要や(p199)。

 部下であれ、ライバルであれ、隣人であれ、「苦楽相半ば」という視点から、他者の成長を喜べたら、仕事も生活も人生も、それこそ幸せなものとなるにちがいない。
 覚悟を促す一節も。

生きていくということは、どこか心の核のあたりに、これという覚悟のようなものを抱いて行くもの(p14~15)。

 なんらかの覚悟を持たずしては、なにもはじまらないことを、このフレーズは示唆している。なんにせよ覚悟だけは持つべき、なのかもしれない。

9 若い世代へのビジネス訓

 前2作につづいて、若い世代へ伝えんとするビジネス訓は、第2章を中心に少なからずみられる。哲学を持った実務リーダーだからこその発言が、読者の胸に響く。

3Kこそ仕事の原点や。正直、こういう仕事を厭(いと)う人間は、どの企業でも同じやと思うのやと思うのやが、たねやには要らん。仕事の原点からの発想こそ企業にとってはもっとも大切(p52)。
自分の短所は思っているほど、自分自身にはよう分かつてない(p55)。
生きるということはストレスそのものか、あるいはストレスとの闘いみたいなもん(p60)。
ストレスということばを自分の脳裏から追放してしまうのも一つの方法(p61)。
三年たってその会社での仕事と自分の行き方がしっくりしないと思うたら、身体を動かすことを必要とする部署に志願することや。そしたら、きっと道を見出すことができる(p62)。
会社というものに対して受動的になったらあかん。指示された仕事をこなすのはもちろんやが、それだけで終わるんやのうて、その会社のなかで何がしたいかを考え、見出していくことが肝要や。会社は何もしてくれん、とまでは言わんが、常に主体的に働くということを心掛けておくことや。そうしたら自然に仕事も面白うなってくるやろし、やり甲斐も出てくるもんや(p63)。

 このなかで、とくに最後の引用文は、著者の山本氏が、働く読者に贈る最も大切な言葉であろう。経営者みずから、会社はなにもしてくれないかもしれないと述べ、受身になるな、主体的に仕事をせよ、やりたいことを探しおこなえと叫んでいるのだ。どの企業であれ、店であれ、うちの経営者はと、親指を上に向ける前に、この部分を熟読し、優れた経営トップが、働く一人ひとりになにを求めているのかを、とらえなおしたいと思う。
 著者はさらに加えていう。

会社組織というのはそんなに窮屈で不自由なものでもないんや。わしが常に気をつけてるのは、社員がいかに自由度の高い仕事をしているかということや。ある程度の自由というもんがなかったら、ええ仕事なんかできやせん(p70)。

 心から同感の意を表したい。一度でも失敗したら即刻打ち首、というようなところからみれば、こういう考えの経営者を持った企業の方々は、さだめし幸運と考えていいのではないか。
 ただやりたいことをやろうとするとき、どうしても避けられないのが、失敗という問題である。著者は失敗論をこう結論づけている。

失敗をせんということは、これという仕事をしてないのと同じや。気にせず、気分を切り替えたらええ(中略)。ええ仕事、大きな仕事というもんは、この失敗と成功のせめぎ合いのようなところにある(p65)。
 もっとも留意すべきことがある。失敗したときは「絶対に上司やトップに隠したらあかん(同)」ということだ。「これが企業に蔓延(まんえん)したらそれこそもうおしまいや(同)」。報告したくないにしても「絶対に報告せんとあかん(同)」。それは危機管理をしなくてはならないからでもある。
商いというもんはいつドンデン返しが来るか分からんものなのや。一つ間違うたら、どん底に落ちてしまう。どん底が見えたらあとは上がるより他ない(p71)。

10 近江商人の歴史から学ぶ

 近江商人についての教示が、やはり改めての勉強になる。はじめはその歴史的背景についてである。

古代の日本では、庚午年籍(こうごねんじゃく)や班田収授法などでも知られているように権力者は人を管理することに重きを置き、中世では封建、すなわち土地の奪い合いと管理に明け暮れたわな。治安が落ち着いた江戸時代、それでも人々は自由に旅をしたり、今のように家族旅行や家族ぐるみの引越しなどもままならんかった。商いとて同じことで、明日から広島や仙台に出て店を開き商売ができたわけやない(p189)。

 古代は人間の管理、中世は土地の管理、そして近江商人が活躍した江戸時代は、人間と土地の両方の管理、というように、近江商人がいかに動きにくかったのかを、歴史的観点から探り出す。そんな厳しい時代性のなか、近江商人はどう全国展開したのだろうか。感嘆することに、手続きをきちんと踏むことをはじめ、商人として富を集めるため、あらゆる努力を惜しまなかったらしい。

近江商人にとって「富」とは単なる豊かな金銭力というだけのことではなかったんや。全国から集めた「富」は、わがふるさとのため惜しげもなく神社仏閣や教育施設などさまざまなところへ有効利用されたんや。いや、わがふるさとのみならず、全国各地に根をおろした近江商人たちは、其の地においても同じようにインフラはじめ、公共のためにお金を使うた。瀬田の唐橋を日野の商人、中井源左衛門が一人で架け替えたと伝えられているぐらいやから推して知るべしやな(p191)。

 このことは、つぎの感動的な言葉につづいている。

商いというものは決して自分ひとりで完成するものではなく、他人があり、社会があり、国があり、はじめて成り立つものであり、ならば、利益配分は当然その恩返しとして為されたもんなのや(192)。

 「利益配分は当然その恩返し」という一節を噛み締めたい。

11 まとめ――そして『末廣正統苑』はエンドレスストーリーになる

 『末廣正統苑』の最後は、

池を開きて月を待たざれ
池成れば月自(おのずか)ら来る

 という2行である(p128)。こんなふうに、ひときわ大きな文字で書かれている。「池」は成因とか原因で「月」はその成果なり結果を現すと思われる。本書の冒頭のほうに「まず額に汗して一生懸命に働くことや。無我夢中に働くことや。どんな仕事でも一生懸命働いたら、必ず興味が湧いてくる(中略)。そしたら自然に甲斐性というもんがついてくる(p8)」とあるように、おこなうべきことを、しっかりおこなえば、結果は必ず伴うことが示唆されている。ここは、何度も何度も熟読を重ね、読み探りたい。

 この最後のフレーズは、『末廣正統苑』の一番最初の

人あれば道あり
されど
道は自らが求めて拓(ひら)くもの(p115)

につながっていく。成因、原因を作ることは、道を拓くことに結びついていくからだ。かくして『末廣正統苑』は、エンドレスストーリーとなり、終わりなき〝商い訓の物語〟として、永遠に読み継がれていくのである。


新・お店のバイブル
執筆者:青田 恵一

福島県出身。中央大学法学部法律学科卒業。中小企業診断士。
長年、小売店(八重洲ブックセンター、ブックストア談などの書店)に勤め、店長、営業企画課長、事業推進部長などを歴任。数々の出店と店舗指導に関わる。
現在、コンサルタンティング会社「株式会社 青田コーポレーション」代表取締役。
経営コンサルティング、店舗診断・提案、研修、出版、執筆などに従事。書店中心に商品レイアウト変更や販売促進を得意テーマとする。
2001年 日本エディタースクール「編集コース」終了。
2003年 『よみがえれ 書店——V字回復へのヒント』(青田コーポレーション出版部発行、八潮出版社発売)を刊行。
2004年 『書店ルネッサンス——進化・視察・出版営業・未来・電子ペーパー』(同)を刊行。書店進化論や、電子ペーパー報告などを収録。
2005年9月には「たたかう書店—メガブックセンター・責任販売・万引き戦争・ジャンル別マネジメント・新古書店対策—」(同)を刊行、「よみがえれ 書店」シリーズ完結編として注目を集めている。同書は日本図書館協会選定図書にも選ばれた。

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