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パルコ社長牧山浩三氏(下)テナント交渉、忍耐強く(私の課長時代)

[ 2018年2月13日 / 日本経済新聞 朝刊 ]

  ■1994年、名古屋パルコで店長に次ぐナンバー2として営業部門を取り仕切る。

 最初の仕事は食品フロアの刷新でした。近隣の松坂屋などとの競争に勝てず、売り場をアウトドア用品の専門店に改装することが決まっていました。開業後5年での刷新は異例でした。

 テナントとの撤退交渉は、誘致以上に大変です。特に食品店は厨房機器など設備の負担が大きく、各テナントは10年以上の入居を想定しています。「うちは繁盛しているのになぜ出て行く必要があるのか」「あと5年は残してくれ」。交渉ではこういう声が少なからずありました。ただありがたいことに、多くのテナントには納得してもらえました。

  ■無謀な要求には時間をかけて粘り勝つ。

 「別の場所で営業を始めるまでの補償しろ」。一部のテナントからは厳しい要求もありました。無謀な要求は「本社に持ち帰って検討する」ととりあえず伝え、時間を稼いで相手に冷静な判断を促しました。原則、意識したのは(1)私に決裁権があると理解させる(2)容易に代替案を出さない(3)時間を置く――の3点。撤去費用や違約金などで特定のテナントだけに有利な条件は絶対出せません。

 厳しい要求を出してきたテナントには10回ほど訪問し、特別な補償なしで決着させました。結果的に全テナントと公平な条件で合意に達しました。アウトドアの専門店として改装できたのは95年で、交渉から1年を要して実現しました。

  ■97年、38歳で渋谷パルコの店長に昇格。

 渋谷はパルコらしさが最も求められます。知名度やブランドに関係なく、今後伸びそうな面白いテナントを発掘し、育てていくのが役割です。その代表として誘致したインテリア雑貨の「フランフラン」や服飾雑貨の「サマンサタバサ」はその後ぐんと輝きを増しましたね。

 最も効果的なマーケティングは若者にどういう商品が欲しいか聞くこと。流行をつかもうと、展示会にも数多く顔を出しました。

 テナントの誘致は恋愛と似ています。パルコがベストパートナーかどうかはお互いの相性が重要です。出店を依頼するときの殺し文句は「うちの従業員がみな入居してほしいと願っていますよ」。これで多くのテナントを口説くことに成功しました。

 パルコの役割は何か。渋谷の店長の3年間で考え抜いたことは、社長としてパルコの飛躍を考えるうえでの礎になっています。

あのころ

 1990年代はバブル崩壊で西武百貨店などが経営不振に陥るなど、セゾングループにとって冬の時代だった。パルコは西友傘下の書店「リブロ」(東京・豊島)の買収などで事業を拡大。グループ解体で2001年には筆頭株主が森トラストに変わった。

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