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ケーズホールディングス相談役加藤修一氏(12)コジマの本丸、宇都宮に出店(HISTORY暮らしを変えた立役者)

[ 2018年2月16日 / 日経MJ(流通新聞) ]

「YKK戦争」裏では交流も

 1987年、コジマの本拠地の宇都宮市に出店しました。茨城県外に店を出すのは初めてのことです。コジマの茨城進出から反撃に転じるまで4年かかったのには理由があります。カトーデンキ販売は店舗の運営効率性を落とさないよう、「地続き」での出店を原則としていたからです。

 カトーデンキ販売の知名度が低い栃木県での出店ですから、これまで以上に周到な準備が必要でした。信頼できる人材はいないかと考え、頭に浮かんだのは営業本部の平本忠課長補佐(現社長)でした。

 当時の従業員は茨城県内しか店舗がないので皆、自宅から通っていました。転居することは想定外です。なんとかして説得しようと、平本君をなじみの「可志満(かしま)寿司」に連れ出しました。

 話を切り出すと、新婚ホヤホヤの平本君は「ぜひ、行かせてください」と即答しました。理由は「家賃の半分が会社持ちなら、いいところに住めますから」とのことでした。

 開店準備にあたって、まずはゼンリンの住宅地図を買い込み、新店の商圏内の一軒一軒にダイレクトメールを配りました。ポストに投函(とうかん)するのではなく、できるだけあいさつをしながら、手渡しするようにしました。配り終えると、地図をペンで塗りつぶしていきました。

 何日も歩きまわって、すべて配り終えた後、慰労を兼ねて飲みに行きました。ワシントンホテルの近くの店だったでしょうか、たまたま隣り合わせた男性と仕事の話になりました。「水戸の電器店ですが、今度、宇都宮に店を出します」とあいさつすると、その男性は「コジマは強いから大変だよ」と言われました。

 「当社は店舗の運営コストを下げて、多くのお客様に安く売る商売をしていきたいと考えています」と話すと、この男性は「それはいいことだね」と理解してくれました。後日、店がオープンするとエアコンを買いに来てくれました。

 90年代に入ると、コジマがヤマダ電機の地盤の群馬県に出店し、「上州戦争」が勃発します。ヤマダ電機とカトーデンキ販売も同じ商圏で競合するようになって、いわゆるYKK戦争が本格化します。「他店よりも高かったら、その分、値引きします」といった比較広告も展開。他の地域より家電が安く買えるとして、「北関東価格」という言葉も生まれ、知名度は全国区になりました。

 こうした事態に、やきもきしていたのはメーカーの担当者でした。YKK3社の意地の張り合いで値下げ合戦が過熱しないよう、さかんにゴルフコンペや宴会を催し、3人の仲を取り持とうとしていました。

 この当時、コジマの小島勝平社長、ヤマダ電機の山田昇社長は確かに商売敵でした。しかし、プライベートでもいがみ合っていたわけではありません。

 小島さんは情に厚くて、人間的にはいい人でした。山田さんとはプロアマ大会やメーカーの主催でよくゴルフをしましたし、いち早く導入したPOS(販売時点情報管理)システムを見せてもらいに前橋まで行ったこともありました。

 ある宴会の席、小島さんが酔った勢いで山田さんと私に対し、「そうだ、3人で組んで(当時、家電量販店で売り上げトップだったベスト電器の地盤)九州を攻めようじゃないか」と提案してきたことがありました。さすがにこの話はその場限り。具体的な話に進展していくことはありませんでした。

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