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デジタル・カンブリア紀(DeepInsight)

[ 2018年2月28日 / 日本経済新聞 朝刊 ]

本社コメンテーター 中山淳史

 最近の米国のバズワード(はやり言葉)にgrab and go(つかんで出て行く)があるという。米アマゾン・ドット・コムが1月から始めた食品スーパー「アマゾン・ゴー」のことだ。

 店内にはレジが存在しない。代わりに弁当箱のような130個のカメラ、つまり「目」が天井に設置してある。目は縦、横、斜めから四六時中、人の動きを観察し、買う物、戻した物を正確に見極めてスマートフォン(スマホ)上で決済処理をする。来店者は当初、違和感を覚えるというが、慣れるのは恐らく時間の問題だろう。

 興味深いのは日本との発想の差だ。国内でも最近、ローソンなどが新しい決済方法の実証実験をしているが、日本企業は似たような画像認識技術を使いつつ、究極的な目標を無人レジ、すなわち「省人化」に置いている。一方、アマゾンは省人化を飛び越え、「新しい経験の提供」に重きを置く。

 戦略の優劣を論じるのは早いかもしれない。だが、アマゾンは米国で始めた店の仕組みを世界に広げる計画だ。同社が提供する経験が、電子書店のように人々が潜在的に求めていたストライクゾーンを射抜いているとしたらどうか。日本が世界に誇るコンビニエンスストアもアマゾンの「捕食」の対象になることはないだろうか。

 同社が注目する目という概念は重要かもしれない。生物の歴史上、最も重要な節目を提供したのは、実は目だったからだ。

 「カンブリア爆発」という言葉がある。今から5億年前のカンブリア紀を境に「門」など生物の属性が劇的に増えた、との説だ。実際にはそれ以前から生物は多様な生態系を持っていたことが最近わかっている。だが、カンブリア紀はやはり大きな節目だった。地表に届く太陽からの光が増え、生物が目を獲得したからだ。

 英国の生物学者、アンドリュー・パーカー氏の著書「眼の誕生」によれば、カンブリア紀に増えたのは化石だ。目を確保した生物は、目を持たない生物を捕食し始めた。捕食される生物は自分も目を持とうとする一方、食べられにくい「硬い殻」を身にまとう方向に進化し始めたという。カンブリア紀とは要するに、弱肉強食が加速した時代だったのだ。

 アマゾンの話に戻ろう。同社は目を獲得し、インターネット上だけではなく「残りの9割の経済」といわれるリアルワールドに本格的に飛び出した。同社が進める産業のdisruption(破壊)という名の捕食はこれまでより一段と広く、深く進行する可能性がある。もしかしたら後世になって「デジタル・カンブリア紀」と呼ばれるような時代がもう始まっている可能性もあるだろう。

 では、目を意識するのはアマゾンだけか。中国に寒武紀科技(カンブリコン)という新興企業がある。寒武紀は中国語でカンブリア紀だ。設立したのは中国科学院出身の科学者で、中国の政府系ファンドやアリババ集団が大株主になっている。

 開発するのは瞬時に画像を認識し識別する人工知能(AI)用のプロセッサーだ。現在、AI用プロセッサーの世界最大手は米国のエヌビディアという会社だが、中国の狙いは「同国にもエヌビディアを創る」ことにあるという。

 アリババ以外では百度(バイドゥ)や京東集団も「自動運転」「コンピュータービジョン」など目に関連した新興企業を次々と傘下に収めている。監視や軍事利用の国策もあろう。だが、ビッグデータが豊富な中国が2035年までに「すべての経済・技術分野で米国に追いつく」との国家目標を掲げる点をみれば、デジタル・カンブリア紀のスタート地点が米中2カ国になることは、ほぼ確実だ。

 では、日本の戦略はどうあるべきか。生物学が専門で「弱者の戦略」の著書がある稲垣栄洋・静岡大教授は「ナンバーワンであり続けないと永続的には生き残れない。つまり、米中と同じ土俵では戦わず、少しずらした市場、確実に1位になれる市場を求め続けることが重要」と話す。

 雑草が一例だ。「踏まれるほどに強くなる」のは実は本当ではないそうだ。強さの秘密はタネにあり、雑草は気温や降雨量などあらゆる環境変化を想定してタネの一つ一つに違う性質を持たせている。つまり、何百何千というタネを空気中にまくうちに「どれかがどこかで確実に生きながらえる戦略をとっている」のだという。

 産業で言えば、日本には電子機器から自動車、工作機械まで「ハード」というタネが多数ある。米中のいない土俵はいくつも転がっており、そこに目を付ければ沃野が生まれる可能性はある。

 ローランド・ベルガー日本法人の長島聡社長は「ビッグデータが最高の美徳のようにいわれるが、世界にはミディアムデータ、スモールデータで事足りる産業が、比率でいうと半分はある」と話す。例えば、食材店の自動化を進めるロボットは画像データを数十枚学習させれば、人間と同等以上の働きをする。精密品の検査でも数万枚のデータで、そうなるそうだ。

 grab and goのアマゾンは現在、目を使って倉庫の完全自動化を目指している。だが、最も難航しているのが倉庫で商品をつかむ(grab)ロボット技術だという。実は、日本にはその技術がある。

 似た状況はまだたくさんありそうだ。日本に求められているのはやはり、米中がかなわない土俵を創り出すこと。賢く生き抜く弱者の戦略だろう。

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